新しいものをおろす時って、何でも少しはワクワクすると思う。 私の場合だったらリードでも良いし、新しい掃除用の羽根とかでも良い。 それがただ新しいものに代わるんじゃなくて、今まで使ってたのよりグレードが高いものだったら・・・どのくらい嬉しいだろう。 - Largo - 早朝。 運動系の部活の朝練風景が広がる、早朝。 私は何で学校にいるのかといえば・・・電車の関係でこの時間に来るのが一番楽、ということでしかない。 いつもだったら朝のホームルームが始まるまで寝て過ごすのだけれど、今日は別のことをしようと思う。 というわけで、リード。 オーボエになくてはならないリード。これがなかったら音が出ない。でも今持っているのの半分くらいがもうだめで、昨日買ってきた。 この私が今手にしているのは半完成品という奴。それを削って、吹ける形にする、という面倒なんだけどなかなか楽しい作業をこれからやろうということで。 「まずは水だ」 白色半透明のフィルムケースを、私は鞄の中から探し出した。 これは水入れというもので。演奏前なんかにリードを浸けておくケース。 あ、ちゃんと売り物もあるんだけどね。いいじゃない、フィルムケースは密閉性が高くて便利なんだから。 「・・・あ、三上」 冷水機にでも行ってこようと廊下に出ると、エレベーターの方からチェロを背負った三上がやってきた。 いつもながら大きな楽器だ。これがあると、重いからと言って、しょっちゅうエレベーターが使える(本当は駄目だけど、勢いでいける)。でも実際、重いのは楽器じゃなくてそのハードケースだったりするんだから詐欺な楽器だ。 ここで問題なのはチェロの大きさじゃない。 三上・・・もっと説明するなら、遅刻魔の三上が何でこんな朝早くからここにいるのかってこと。見たところ、後輩の個人練習を見るとかそんな話じゃなさそうだし。 「どうかしたの? 三上、早すぎない? 雪降るよ」 「今雪降るわけねーだろ。お前こそ何でこんな早く来てんだよ」 「私はこれがいつもの時間だもん。で?」 「弦」 「弦?」 「昨日、楽器屋行ったんだけどな・・・」 三上がチェロを廊下の曲がり角の隅に置いた。 「弦買おうと思って見たら、4000円のと12000円のがあったんだよ」 「高っ・・・」 「言っとくけど、チェロのC線で4000は普通だぜ。で、店員がその高い方を『凄くいい音しますよ。高いですけど、学生さんでしたら少し安くしますし、2年間の保障もします。A線の音まで変わりますよ』って勧めてくんだよな」 「・・・で、その弦はどうしたの?」 「・・・・・・買っちまった」 「・・・うそ・・・」 本当に? 本当に買ったの? ちょっと待って、落ち着いて、。私が買ったんじゃないから。買ったの三上だから。 え、でも12000円・・・いちまんにせんえん。中学生や高校生が部活で手を出すような値段じゃないと思うんですけど、え、そう思ってるの私だけ、じゃないよね!? 「・・・どんなの?」 「ほらよ」 鞄をあさった三上から、白っぽくて薄い袋を渡された。大体15p四方、確かにこれはチェロのC線だ。袋にそう書いてあるし。 ひっくり返すと「 made in Paris 」の文字と、48ユーロの表記。 「タングステン?」 「素材。普通はスチール弦なんだけどな」 「ふうん。メードインパリなんだ。はい」 「お前フランス生まれだったのか」 うーん。 三上、あんたなまじ顔は良いんだから、そうやって弦に話し掛けない方が良いよ。そういうキャラを確立させるならともかく。 取り敢えずそのことは置いといて、私が見ている間に三上はさっさとチェロを出して弦を付け替え始めていた。 管の私には理解不能な工程。 「おい、、お前立ってるんだったらこれ持ってろ」 「はーい」 ひょいと渡されたのは、外されたばかりの古い弦。 うん、これがスチール弦ね。 だいぶ古いのか、弦は少し黄ばんでいて松脂もついている。 こんな手入れで良いのだろうか(多分反語)。 張ったばかりの弦をはじいた三上が、「お、」と声を上げた。 「どう?」 「・・・すげぇ。まじで全然違う。椅子持ってこい」 「はいはい。ここで弾くのね」 私はパシリじゃないんだけどなぁ。 けれど弓を手にした三上があんまり嬉しそうだったから、このくらいは許す、ってことで。 Top ++あとがき++ タングステンって合金、このとき初めて名前を聞きました。 C線はチェロの一番太い弦、A線は一番細い弦、ってことなのですが・・・本当にC線変えただけでA線の音って変わるんですよ。 弾いてる時に音はもちろん、指で弦を押さえる時の感覚とか、体に伝わってくる振動まで違うらしい。 すごい、いちまんにせんえんって。 2007/05/03 |