最近になって、朝霧の君の噂に、新しい話が加わった。
朝霧の君が裳着をとりおこなった。
帝への入内の日は近い、と。

あまりにも唐突に付け加わったその話は、あまりにも早く都を駆け巡った。





の 君





「・・・姫様、お話したいことがあります」

御簾越しに、金の屏風の影が見える。
豪奢な錦の着物の裾が見え隠れする。

けれども、御簾から返事はない。

今日も。
今回も。


何度となく、大納言のいない時を見計らってはこうやって尋ねてはいるのだけれど。
朝霧の君からは『無言』という返事しか来ない。

返事をするどころか、部屋の奥にこもっているだけなのだ。


それが、今日も。
ただ、今日がいつもと少し違ったのは、いつもそばに仕えている侍女が席を外していることだった。

今、出てきてくれなくては。
竹巳の体の方がいい加減参ってしまう。


「姫様、ぜひ申し上げたいことが・・・」

御簾の向こうで、空気がさらりと動いた。

「そんなに何度も、不思議なことね。何事です?」


待ちわびていた声。
竹巳ははっと顔を上げて御簾を見つめた。

衣擦れの音と、風に乗って仄かに漂う香の薫り。
長い黒髪の影、人の動く気配。

ずっと晴れなかった、人を惑わす朝霧の。


「あなたは・・・お父様に仕えている内舎人ね。そう、名は・・・」
「竹巳、と申します」
「そうだったわ。聞いたことあるのよ。それで、どうしたのかしら?」
「それは・・・」

言葉が続かない。
特別に伝えたいことがあるなんて、そんなわけがない。
それはただの口実だ。

「・・・どうかなさって?」

もう一度、同じ声が降ってくる。
縁先の、御簾一枚を隔てて。
掴もうとしてもさわることすら出来ない、朝霧が。

すぐそばに。


――本当に、そうしてしまってもいいのだろうか?

良い悪いを考えれば間違いなく悪い、の部類に入る。
けれども、が縁先まで出てきて、話までしてしまった以上、後戻りできる時はもう過ぎていた。

今。
そのために呼び続けていたのに。


隔てるものは御簾一枚。
格子も開いていて、人影もなくて、遮るものは一切ない。

「・・・様、申し訳ございません!」
「え・・・?」

突然の出来事にが戸惑う暇もなく。
竹巳は御簾を撥ね上げてを抱きかかえると、近くに連れてきていた馬に乗せた。

「どういうこと・・・っ」

大納言の屋敷を、出来る限りの速さで駆け抜ける。


ずっと惑わせ続けていた朝霧が。

――ようやく。




 

2007/05/22