永久の幸福を与えられたら





福 寿 草





ふらりと入った榛原は、吉原とは全く違った。
何が違うって、とにかく様々に。
同じ色の街でも、公認と非公認ではこうも違うものなのだろうか。

並ぶ店が違う。
豪華なものは見当たらない。揚屋と置屋、茶屋の区別すらも無いのだろう。
通る人が違う。
一目でそれとわかる、金持ちがいない。やんごとなき者もいない。豪商、豪農、公家に上級武士。吉原ではよく見かけたのに。

面倒な事をせずに女に逢えるのはありがたいし、散財の心配もない。
だからこそ、摘発を何回もくぐり抜けてここは生き残るのだろう。

でも。
ここはあまりいい遊び場じゃない。
兎にも角にも、ここの女郎どもはしつこいのだ。
袖にしがみついて離れない。
大金を落としそうに見えるのだろう。そういう目は、相当養われているはずだ。

ここに来たのは間違いだったか。けれども、吉原にこれから行く気にもならない。
今日は言わば「お忍び」だ。吉原では騒がれてしまう。

さて、どうするか。
適当な店に入って、適当な女を見つけるか。
またひとり近づいてくる女を無碍に断って、思案する。
少し歩こう。




榛原の中心へ向かうと、相応の賑わいを見せていた。
通りに面した、楼というにはあまりにも小さな茶屋では、ちょうど女中らしき少女が、ひとりの娘を送り出している。

「有希さんはこれからですか?」
「そうよ。日も落ちたし」

送り出される側の娘は笑いながら、少女と話している。彼女が通りをふと見やった時、その店内の明かりに照らされ、白い娘の顔がちらりと見えた。
・・・この顔は。

「柏木・・・か?」

そちらに歩を進めながら。
娘に声は届いていない。
声に出してみて、確信を持つ。あれは確かに柏木。いつか、夕霧と共に吉原から消えてしまった。

「柏木か?」
「・・・何で、三上亮がここに」

娘の顔が驚愕に変わる。

「お前がいるってことは、もいるのか」
「ええ、お察しの通り、いるわよ」
「有希さん・・・お知り合いですか?」
「ちょっとね・・・。外に出るのは止めるわ。みゆき、を呼んで来てくれる?」

はい、と短く返事をして少女は駆けて行く。
それを見送ると、入って、と短く言って有希は店に戻る。三上もその後ろに続いて入口をくぐった。



案内された座敷は、幾分狭かった。
席につくと、重苦しい沈黙が立ち込める。階下の賑やかさから、ここの場所だけ切り取られてしまったように静かだ。
こういう雰囲気は苦手だ。
三上は内心毒気付く。

ぱたぱたと軽い足音が聞こえ、先ほどのみゆきが戻ってきた。更に後ろから、が付いてくる。

「有希、どうしたの、今日は表へ行くんじゃ・・・」

の足は障子を開けた瞬間で止まり、言葉も切れた。
表で見た有希以上に驚いた表情を浮かべ、呆然と固まっている。

さん・・・?」
「あ、いえ、なんでもないわ」

みゆきが心配そうにを見て、着物の袂をつついた。それで我に返ったようにもう一度席を見ると、恐る恐る近づいてくる。

「三上・・・亮・・・さん・・・? 本当に? どうしてここへ?」
、立ってないで座ったら」

目をほとんど逸らさずに、流されるままは膝をつく。尋常じゃない気配を感じ取ったのか、三人分のお茶を持ってくると、みゆきは何も言わずに下がった。


「・・・吉原から急に消えちまって、二人ともこんな所か。何で消えたんだ」

三上の言葉には黙ってうつむき、有希は露骨に嫌悪感を示した。
あの時の、吉原。そこから逃げ出せると聞いて、他にどうしただろう。

「何で消えたのか、話はいくらでも聞いているんじゃない」
「良くない噂ばかりな」
「例えば?」

挑発的な有希の視線から目をそらし、一呼吸置いて三上は口を開く。

「柏木が夕霧の情夫を奪って激昂した夕霧に二人とも殺された、って言うのが最初に聞いた噂だな」
「そんな!」

うつむいていたが顔を上げ、叫ぶ。立ち上がりそうな勢いの彼女を、有希がたしなめた。

「信じてる奴はほとんど居ねぇよ。まことしやかに囁かれているけど、な。現に柏木は生きている。笠井だって、大方、あいつの存在が邪魔になった丁子屋か渋沢の所が消しにかかったんだろう」
「まさ、か・・・」
「さあ」

丁子屋はまがいなりにも世話になった所。渋沢は日本橋きっての大店で、上客でもあった人。
どちらが関与してようと、衝撃が強い事に変わりはない。

「笠井竹巳を知っているの?」
「知ってるぜ。あのぼろい、秦泉寺とか言う寺。あそこはな、この辺の武家の子供が行儀見習いに出される所なんだよ。そこで一年ばかり共同生活ってわけだ。結構色んな奴が居たぜ」

三上は話し終わってから、眉を顰める。

「俺はそんな話をしに来たんじゃない。だが、がここにいるなら丁度良い。店主はいるか」
「玲さんなら一番奥の部屋よ」
「今話せるか」
「話せるけど・・・何の用!?」

有希の口調が強くなる。
三上は、立ち上がってその問に答えた。

を身請けしたい」






「無理・・・です・・・」

静かな声で呟く。部屋を出ようとした三上も、足を止めてそっちを見やった。
は三上を見上げて、急に叫ぶ。

「無理です! あなたは竹巳に似ている。その眼も、その笑い方も、その優しさも、全部! あなたがどんなに私を愛して下さっても、私には、」

「無理なんです、だからお客さんのままでいて下さい! あなたを客だと思うからこそ、いくらだって愛してると言えたし、甘い言葉も囁けたのに!」

「無理、なんです・・・・!」

有希の声も聞こえていない。それほど錯乱した様に、泣きながら彼女は叫んだ。
三上とてわからないほど馬鹿ではない。
彼女が愛しているのは死んだ人間。勝てるわけはないのだ。

「無理じゃねぇよ」
「いいえ、いいえ、私は」
「なら、笠井をずっと追っていても構わねぇ」
「え・・・?」

耳を疑った。となりで、有希も怪訝な顔をしている。

「何て、」
「笠井が好きならそれでいい。屋敷で俺を客みたいにあしらってもいい。相手にしなくてもいい」
「でも、」
「どうせ榛原にいようが吉原にいようが、女郎の身じゃ笠井の墓参りも出来ないんだろ。それだっていくらでもすればいい」
「でも、そんな・・・」
「それでも来られないと言うなら、無理強いする気はねぇ。俺がを引き取りたいだけだ」

そのまま、三上は黙る。は呆然とした顔でそれを聞くと、やはり黙りこくった。
考えているのか、本当に考えられるのか。
やがて、ぽつりと呟く。

「後悔・・・しますよ」
「絶対にしねぇよ」
「竹巳以上には・・・好きになれません」
を見てるだけでいい」

うつむいていたが顔を上げる。
ようやく、決心したように姿勢を正すと、三上の前に向き直った。

「よろしく・・・おねがいします」

震える声で言葉を紡ぎ、手を突いて頭を下げる。
満足気に三上は頷き、今度こそ部屋を出ようと障子に手を掛けた。が、力が入るか入らないかの後に、逆側から勢いよく障子が開き、立っていたのは女が一人。

「あ、玲さん!?」
「あんたがここの店主か?」
「そうよ。もう話は済んだかしら、三上の御子息殿?」
「知ってんなら話は早いな。を身請けしたい」
を?」

女は形のいい唇を上げて、意地悪く笑う。

「良いわ。でも、城が傾くかもしれないわね」
「そんなことにはならねぇよ」

わからないわよ、傾城と謳われた夕霧ですもの。
女は愉しそうな口調で言う。

「この子は高いわよ? この店で一番稼いでくれてるんだもの」
「知ってる。いくら出せばいい」
「付け値で。榛原のしきたり通りよ」
「一匁でも良いってことか」
「あなたがの価値をその程度だと思うなら、それでも結構」

ふん、と三上は鼻をならした。そう来たら、出さないわけにはいかない。

「千二百両だそう」
「上等ね」

身請けの証文が二枚出され、三上がそれぞれに拇印を押して一枚返す。さらに借金の証文と奉公の誓約書が玲から渡された。

「そっちの二枚は破棄して結構よ。一月後に彼女を引き取りに来て頂戴」
「一月? 半年だろ」
「千二百両以上積める人は、この店には来ないのよ」

それなら、なお好都合のこと。三上は、三枚の証文を手に座敷を出て行った。



一月後。
一輪の花が、さる大名屋敷の手活けとなった。



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++あとがき++
眼って形のことじゃないからね。形だったら違いすぎるからね。
この人は吉原に慣れてるんです。だから榛原のものがみんな小さく見えるのです。金持ちめ。

2006/08/12