終わりに近づく松詣で 深 緑 年にたった二度しかない、休み。 正月松の内は、その数少ない休みのひとつ。 特に元日はどの店も固く閉ざされ、客は入ることを許されない。 その楼の中では、店の主人と、幾人もの遊女と、それ以上に多い禿、それに若い衆などが一堂に会して正月を祝っている。 戸口には松が飾られ、お雑煮が振舞われ。この日ばかりは、誰も彼もが正月気分に浮かれていた。 けれども、完全に休めるのは元日のみ。二日から吉原は開く。 この丁子屋を始めとする大店は松の内の間が休みだけれど、それだって店が休みなのであって遊女が休みなのではない。 正月二日。 別名を、仕着日。 小店ではもう見世が始まっていて、吉原の仲の町に人が集まっている。 午後からは、いよいよ大店の遊女も動き出す。 「、小袖着た?」 「今朝頂いたものでしょう?」 「そうよ。もうすぐ年礼に回るって」 「禿卒業して初めての正月ね、緊張する・・・」 去年の夏に遊女として上がってから、半年と少し。だから、彼女たちにとって遊女になって初めての正月。風習に従って楼主から小袖を贈られるのも初めてだ。 仕着日に贈られた小袖を纏い、遊女たちは茶屋へ挨拶回りに行くことになっている。 「甘露梅、今年は一段とよく出来たらしいわね」 「いいなぁ。作るのに駆り出されても、私たちは食べられないのに」 「砂糖なんて高級品だもの」 有希が盛大に溜息をついて、がそれを笑いながら嗜めた。 来てくれるご贔屓の客に配るための甘露梅。夏に青梅から作られるそれは、高価な砂糖をふんだんに使って砂糖漬けにしてある。 出されるまでの年月はだいたい一年と半年。かなり手の込んだ代物だ。 「二人とも、もう時間ですよ」 「はい、すみません」 立ち上がって後に続く。 さて、茶屋のお年始へ。 本当は一人で行くべきなのだろうけれど、今回は特別に。にはまだ妹がいない。 だから、は雲居太夫の妹として、彼女の後に続く。 雲居は華やかな小袖をまとって、の他に禿の少女を二人連れて。 楼で働く男もお供にして、ゆっくりと道を進む。 年が明けた道中初め。 男も女も道を空け、その歩く姿をうっとりと眺めるのだ。 「あけましておめでとうございます」 「おめでとう」 仲の町に面した茶屋通り。大門から入ってすぐの七件の茶屋は、最も格式ある茶屋。 そこから右に入った江戸町の一丁目では、三浦屋、松葉屋などの高級妓楼が連なっている。それらの店に客を案内するのが、このあたりの茶屋。 当然丁子屋の客も、ここから来る。 「もやっと遊女になって、丁子屋もますます繁盛するだろうね」 「そうですね。ですから、この子の為にもお願いしますね」 「わかってるって。仕事はちゃんとさせてもらうよ」 雲居と茶屋の主人は簡単な挨拶の後に話し込んでいる。この二人は商売以上に仲が良いらしいと聞いたけれど、本当なのだろう。 「今年もどうぞよろしくお願いいたします」 「どうも!」 二人でお辞儀をして、元気な茶店の主人の声を聞きながら店を出る。 あと一件回って、それから店に戻ると、休みのはずなのに客が来る。 「あれ、有希もう帰ってきてたの?」 「が遅いくらいなのよ。あと一刻もすればお客さん来るんだから」 「あと一刻もあるんでしょう?」 「何行ってるの、食事の時間考えなさい」 夜になる前に食べなくては、その先時間はない。 「でも甘露梅頂いたし・・・」 「え! 何で食べてるの!?」 「姐さんがくれたの」 「いいなぁ・・・」 心底羨ましそうな声に、微笑ましくなっては笑った。 有希が恨めしそうに睨んだので、慌てて口を押さえる。 「これから来る客に渡さないといけないのに・・・なんで私は食べられなくては食べてるの・・・」 「だってこれお年玉だから」 「お年玉なのよ!?」 だから私も貰ったって良いじゃないと、不満げに有希が言う。 「お客様がくれるかもしれないって」 「座敷でそんなこと出来ないわよ。だいたい、期待できない。のところと違うんだからね」 「あ・・・」 確かに、今日来る予定の有希の客は、羽振りは良いけれどあまり気遣いが出来るような人ではない。期待はしないほうが良いだろう。 「の客は?」 「日本橋の渋沢様」 「じゃあ休みも同然じゃない!」 「ふふ、いいでしょう」 有希が羨ましそうに叫んで、溜息をついた。 何だか今日は有希に睨まれたり恨まれたり、そんなのばかりのような気がする。 日本橋の渋沢は材木で富を築いた大店で、今はその二代目。まだ若いながら、堅実に財を重ねているという。 彼はが遊女になった頃からの客で、羽振りも良い。大層を気に入っていてよく通ってくれるし、何か行事のある紋日には、ほぼ必ず一日中買ってくれる。 しかもそのような日には買ったくせにあまり登楼しないから、はその一日休みとなるのだ。 「・・・いいなぁ」 「暇だけどね」 「贅沢言うんじゃありません」 暮れ六つの鐘が鳴る。 もうすぐ、客が来る頃だろう。 「今年こそはいい客が出来ますように」 「何それ」 「早く奉公が終わるようにって事よ」 「あと十年・・・年明けたから九年ね」 この網から出られるまで、あと。 Back Top Next ++あとがき++ 「若い衆」ってのは若くないです。いや、若い時もありますが。 遊郭内で雑用などして働く男の人はみんな「若い衆」です。 正月って結構長いから結局区切れなくて箇条書きっぽい・・・。たまにはいっか。 2006/08/12 |