わかっていた。
こうなるって、わかっていた。
期待どころじゃなくて、確信だった。

だって彼なら。

そう、優しいあの人なら。





Lacrimosa.16





月灯りさす窓辺。
黒い床。
横たわる少女。
暗い部屋の中、その顔だけが白く浮かび上がっている。

風吹き抜ける窓辺。
濡れた床。
動かない少女。
右手元に落ちた剃刀は、その刃を鈍く光らせる。

紅いものを反射して。


「・・・・っ! 、大丈夫か!?」

冷えきった手に白い顔は、眠っているのか、それとも。
少し乱暴に体を揺する。
焦りだけが先行する。

・・・っ」
「ん・・・」

ゆるゆると彼女は目を開け、それを見てほっとする。

――本当に死んでいるのかと思った。


「あ・・・かっちゃん・・・・? どうしたの・・・?」
・・・」
「学校・・・部活・・・・は、・・・」
、」
「今、何時・・・・?」

淋しいとも悲しいとも一切言わず。
辛いとも会いたいとも一切言わない。
無表情に近いほど薄く浮かべた微笑みが痛々しく、
左手首に大きく刻まれた切り傷は目に痛い。
床には無数のティッシュが、黒く染まって積み重なっている。

何をしたかなんて。
聞かなくても解る。

大丈夫かなんて。
訊ねなくても解る。

――気付いてやれなかったせいで。
そのせいで、この結果。


「かっちゃん・・・・?」

考え込んでしまったのだろう。
不安そうなの声がかかる。

「いや、何でもない。、すまなかったな・・・電話も何も出来なくて」
「ううん・・・」

髪を撫でて左手を取る。
手首に付いた血は半端に乾いて、濡れた質感を強調している。
血溜まりに放り込まれたのであろう白い紙は、酸素に触れてどす黒く変色していた。

傷は深い。
思わず、顔をしかめる。

「・・・・どのくらい、切ったんだ?」
「わかんない。けど・・・ちょっと今回は深めだったかも・・・」
「大分、出血してるな。気分は悪くないか?」
「うん・・・気持ち悪い・・・頭痛い・・・」

当然の事だと思う。
この出血量。静脈くらいまで切れてるのだろう。
それに顔色。月明かりを差し引いても、青白い。

「ちゃんと食べてるか?」
「ん・・・」
「睡眠は」
「んー・・・・」

小さく、溜息が出る。
この返事の仕方は、答えをはっきり言えない時。
つまり、答えが『No』の時。

「全く・・・。普通なら救急車を呼ぶところだ」
「う・・・」
「嫌なんだろう?」

は小さく頷いた。

ただの風邪や怪我ならともかく、こういう時は頑なに病院を拒む。
治療も手当ても、消毒すらも放っておいて。倒れるまで、耐えている。


の手が伸びてきて、渋沢の上着の裾をつかんだ。

「かっちゃん・・・」
「何だ?」
「三上君、には・・・言わないでね」
「・・・ああ」

笑いかけて黒い髪を撫でてやると、安心したように目を瞑る。
小さな子供のように。

ほどなく彼女の口からは寝息が聞こえるようになり、裾を掴んでいた手は少しの力もなくなった。


血にまみれた白い手首と、血に汚れた黒い床。


――言わないさ。
少なくとも、今は。

でも、たとえこの事を知ったとしても、彼は嫌いになったりしないだろう。



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++あとがき++
食事も摂らずに横になっていると、本当に何もできなくなります。
もう、身体中の倦怠感が凄いのなんのって。
静脈まで切ると、死なないけど出血量は中々。
自殺しようにも驚いて止めてしまう人も居るとか(某書籍より)。

06/07/14