嫌いになるでしょう?
自分でもそう思うよ。

あんな気持ち悪いもの。





Lacrimosa.28





刃に赤がこびりついた状態で、その剃刀は床に転がっていた。
ごみ箱には、くしゃくしゃに丸められたティッシュが、所々に色をつけて大量に詰め込まれていた。
ティッシュ箱の中身はほとんど空で、一部はの足元に散乱していた。
そしてそのすぐ脇には、元は白かったタオルが赤黒く染まって落ちていた。

部屋に入った途端にわずかに感じる臭い。
鉄臭くて錆臭くて、潮の臭いが混ざったような不快な。
赤いあかい、血の臭い。

! 何してるの!?」

ドアを開けたはその異臭にすぐ気付いて、慌てて駆け込んだ。
そのある種悲惨な部屋の中心にいたのはやっぱりで。
の姿を認めると、ふふ、と力なく笑った。

「おかえりー。ごめん、今片付ける」
「いやそれは後で良いんだけどそういうことじゃなくて」

の声に動揺が混じる。何回も見ていることだけれど、彼女のこの行為に慣れることはない。

「何があって・・・だって、昼は」

そこで言葉が切れる。
昼が元気だったからってその後まで元気だとは限らない。元気そうに見えたからといって本当に元気とも限らない。
そんなの、今までの経験で嫌というほど知ってるじゃないか。

「んー? ああ、それは良くってね」

足元のティッシュをひとつずつ集めながらが言う。

「良いって・・・だったらそんな切り方しないじゃない」
「あー、そう? そうかな」

リストカットが日常化しているとはいえ、普段ならこんなめちゃくちゃな切り方をはしない。どこかで自制心が働く。
なのに、今はどうだろう。
白い左手首には無数の赤い線。そこには血が玉になって浮かび、固まった跡が残っている。
その中に、ほぼ平行に走る大きな傷が3つ。そこから流れ出た血の跡が幾筋も、手のひらへ延びている。
手のひらはほとんど赤く染まり、凝固途中の血液が指の間に溜まっている。
制服のブラウスの裾には、擦れたような染み。

――見るに堪えないほどの、惨状。

「・・・取り敢えず、止血しよう」
「大丈夫、もう固まってるし」
「ならまず洗う。消毒もする。はそういうの適当すぎ」

やれやれといった風のの右手をとって、立ち上がらせる。出る前に廊下を確認。誰もいない。
ふらつくを支えて水道の蛇口をひねると、彼女は素直に腕を出した。
気を遣っても、血で繋がっていただけの傷は簡単に口を開ける。白い手首に、ぱっくり開いた赤い傷。固まり切れていなかったそこから、また血が滲みだす。水を流せばピンクの肉や切れた血管まで見えてしまうほどに深い。

部屋に戻って、消毒液をふりかける。
この時だけ、変わらないの顔が少しゆがむ。そりゃ、絶対にこの傷だったら消毒液はしみるだろうから。
最後にガーゼをあてて包帯を巻き、手当てを終える。もう、何回こうやっただろう。

「はい、おしまい。勝手に取っちゃ駄目だからね」
「ん・・・ありがと」
「・・・・で、どうした?」

うふふ、と自嘲気味には笑った。

「バレた」
「は?」
「バレたんですよー、これ。屋上で。が帰った後」

笑ったまま、は左腕を持ち上げる。手首には、さっき巻かれた白い包帯。

「今日暑かったし、三上くんだから油断しちゃってさ」

今頃あっちは大騒ぎだろうね、と宙を仰いで呟く。

「嫌われた、だろうな・・・」
「まさかそんなことで」
「だと良いけど、やっぱひいてたみたいだし」

は巻かれた左手首の包帯を撫でた。

あんなにひた隠しにしてきたのに。それなのに、とうとう見つかってしまった。

「どーしよ・・・」

こてんと床に転がって、クッションを抱え込む。
顔が近くなった床からは、かすかに血の匂いがした。

「どうしようもないよ」
冷たーい」
「その程度で嫌うようじゃ、最初っからと付き合うのは無理ってことでしょう?」

そっけなく言うに、は目を伏せる。

「・・・嫌われたよね」
「何でそう思うの?」
「経験と勘」

はもう泣きそうな表情になっている。
こういう表情を見せるのも、気を許した相手だけだと知っている。
だからは、最終的には彼女に甘い。

「もう・・・。バレた時三上に何か言われた?」
「ううん。逃げちゃったし」
「じゃあ、その後何か言われた? 別れようとか連絡来た?」
「来てない・・・って言うよりわかんないデス」

何て言われるか怖くて、部屋に入ってすぐ携帯電話の電源を切った。
その前に何回か鳴っていたけど、出ていない。

「じゃあ心配しなくても良いじゃない」
「んー・・・」
「それよりケータイの電源入れたら? 三上どころか渋沢まで心配してると思うよ」

落ちていたの携帯電話を、が手渡す。これにも、丸い血の跡が付いていた。
は何回か折り畳み式の携帯電話を開いたり閉じたりして、そっと電源を入れた。



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++あとがき++
考えすぎ。
でも心配してくれてるから良いとおもうよ。

2006/10/14