軽くはない貧血。
真夏でも着ている長袖。
渋沢との忠告。
いつかの夜の電話。

全て繋がったような気がした。





Lacrimosa.30





風が通り抜けて空は青く高い。
それなのに、気分は晴れない。

・・・私、何やってんだろ

結局、は謝罪のメールを出したきり。
それから三上のメールが届いているのを見たけれど、それには返信していない。

――言えればいいのに。

とてもじゃないけど言えない。
これを見て嫌わないで下さいなんて、どうして言えるだろう。
結局は素直にの言ったことを信じられるほど、彼を信用していないのかもしれない。

はポケットに手を突っ込む。
紙に包まれた固い感触が、指先にあたる。

何でこんなもので落ち着くんだろう。
何で衝動が再発してるんだろう。
随分切らずに済んでいたのに、また。特に、最近はひどい。

再びの常習化。それはいつから。
去年、春、中間、夏休み・・・。
ふと思い出して、はひとりで小さく笑った。

――なんだ、そんなこと。


始まったのは一月ほど前。
・・・彼と付き合い始めた頃。

わかった。とてもよくわかった。
なら、尚更本心を言うことは出来ない。

隠したって、その内気付かれるかもしれない。
そうしたらもう元には戻れない気がする。
嫌われるとかの問題じゃない。
きっと軽蔑される。

それは避けなくてはならない。

それでも、切る行為自体を止めることは出来ない。
この手首の傷は、本当は知られたかったのに。
それなのに、知られたらその先が怖い。


周りを見回して誰もいないことを確認すると、はポケットから白い紙に包まれたものを取り出した。
そっと包みを解いて、中身を確認する。思い描いた通り、銀色の薄っぺらい剃刀の刃が現れた。

お守りのように、いつでも持っていられるようにと、柄だけ外した剃刀。
それは本当に常時スカートに入っていて、触れるたびに何の意味もない安心感が広がる。
触れば『切る』という逃げ道に手を伸ばしてしまうから、お守りどころか害悪ですらあるのに。

は制服の左手の袖を少しだけ上げた。
無数の赤い線が目に映る。
醜い。

その傷痕の中でも一際目立つ傷に、出した剃刀の刃をあてる。
冷たさが皮膚から伝わって、切るのを一瞬ためらう。

――どうしようか。


「おい、お前何やってんだよ!?」
「えっ」

横からふいに声が飛んできて、はびくりと体を震わせた。振り返った途端に三上の形相が目に入って、思わず冷や汗が背を伝う。
三上はすぐさま近づいてきて、の右手から剃刀を取り上げた。

「え、あ、亮?」
「こんなもん持ってんじゃねぇよ!」

それからの左手を掴む。
目を背けたくなるような、傷だらけの左手首。そこに今し方付けられた傷が存在しないのを確認して、三上は息をついた。
まだ切っていない。

「あ、亮、手・・・」
「あぁ?」

に指摘されて三上が右手を見ると、指に赤が付いているのに気付く。剃刀を取り上げた時に切ったのか、指の腹から血がこぼれていた。
見た目は紙で切ったような程度だが、それ以上に深く切れたらしく、血は後から後からあふれてくる。
気付かないような傷だったのに、気付くと結構痛い。

顔をしかめた三上を見て、がふわりと笑う。
そして、自分のハンカチを出してその傷にそっとあてた。

「大丈夫? 地味に痛いんでしょ」
「うるせえよ。お前は人の心配より自分の方をどうにかしろ」
「うん、ごめんね」

悪びれもせず、は笑ったまま答えた。
それを見てしまうと、三上の方も文句を言う気が失せてくる。

「・・・ったく。あんま心配させんなよ」
「ごめん、ほんっとごめん」
「お前ほんとにわかってんのか?」

最後に尋ねても、は曖昧に笑ったまま返事をしなかった。



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++あとがき++
・・・20話くらいで終わるはずだったのにな。
さて、一気に時間飛びます。

2006/10/28