行かないで、行かないで。
どうしてここから離れていくの。
何が悪かったのかな。





Lacrimosa.39





それから、は何も言わなかった。
たわいのないことしか話さなかった。
責めるでもなく、尋ねるでもなく、ただこの前までと同じように。
怒るのでもなく、泣くのでもなく、ただいつもと変わらないように。

口を閉ざさないその『沈黙』は、余計に居心地が悪い。
知らないはずないくせに。

――イライラする。

彼女の手首の傷が。どこかはぐらかそうとする言動が。そこには触れようとしない態度が。


わかっている。

それで感情に任せて、他の女を拒むのを止めれば、それは単にへの当て付けだ。
なのに、また同じことを繰り返す。

彼女の、ひとつひとつが重い。






「ちょっと三上!」

が楽器を持った状態で三上を呼んだ。
口調はもちろん、人を咎めるようなきついもの。

「あんた何考えてんのよ、と別れたって話は聞いてないわよ」
「そりゃそうだろ、別れてねーよ」
「じゃあまた新たに聞く女の噂は何?」

は三上をねめつける。
三上が何かをするたび、に代わって必ず怒るのは彼女だ。


「・・・別にには関係ねーだろ」
「そうよ、直接はね。でもを介せば関係あるわよ」

予想してた通りの答えに、三上は小さく舌打ちした。

「言ったでしょう。そういうことはしないで。を傷つけるだけだから。妙な期待なんか持たせないで」
「・・・期待?」
「だって別れてないんでしょう?」

問い返されるのが心外だと言わんばかりに、は冷たく三上を見返す。

「別れないなら他の女の所へ行かないのは当然でしょう? 別れるならさっさと別れて。に嫌いだとでも何でも言って、今すぐ別れなさいよ」

一気に言って、は自分の携帯電話を取り出し、開いた状態で三上に突き付けた。
ディスプレイ上には、見覚えのあるの電話の番号が表示されている。


「何でそんなことやらなきゃなんねーんだよ」
がいるからよ。さっさとしてくれない? 部活あるから。彼女は嫌いだって言ったってその時は笑って別れるのを許可する。迷うことはないんじゃないの?」

『その時は』という言葉に含みを持たせるように、が早口で言った。
その言い方が気に障る。

は、三上がと別れる気が無いのを承知の上で言っている。だからこそ言えるのかもしれないが。
それに、あの含みは暗に脅しているのと同じだ。
すなわち、

――今の状態でと別れたら、彼女に嫌いなのだと告げたらどうなるのか。
それをよく考えろ。
彼女はおそらく――

そんな風に。


「言わないの? 別れないの? なのに彼女を突き放すの?」

口調がどんどん、責める方向にきつくなっていく。
けれどもそれに言い返せる言葉はない。

「なら私が言おうか? 言っておいてあげるわよ。が何も言わないからって甘いこと考えないで」
「てめ・・・」



離れたところから大きめの声で名前が呼ばれ、は振り向いた。それと同時に、三上も視線を近くのから遠くのほうへやる。
声に気付いたことが向こうに伝わり、その名前を呼んだ人物はぱたぱたと走ってきた。

「よかった、見つけた。今ケータイの電池切れちゃって・・・。コーチ急用で欠席、自主練になったって伝えてほしいって」
「わかった、ありがと、
「ところで、亮に何か言ってないよね? 亮も聞いてないよね?」

およそ友好的とは言えない雰囲気を察して、は尋ねた。それは、聞き方によっては、言わないようにと釘を差しているようにもとれる。
ただ、が期待してたのとは裏腹に心配どおり話は進んでしまっていたけれども。

「言ってない言ってない」
「本当? 、亮にきついから」
「大丈夫だから気にしないでおいて。・・・練習行く」

頑張ってね、とに手を振った。
姿がだいぶ小さくなったあと、くるりとフェンス越しの三上に向き直る。

「言われてないよね? 言われてても気にしないでね?」
「何も聞いてねーよ」
「うん、言ってみただけ」

じゃあ亮も頑張ってね。
それだけ言って、彼女は逃げるように去っていく。

――の言うとおりだと思わないわけでもない。
けれど。
けれど、何故かには。



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++あとがき++
・・・強いぞお友達。

2006/12/08