求めよ、然らば與へられん。 尋ねよ、さらば見出さん。 門を叩け、さらば開かれん。 すべてを求むるものは得、たずぬる者は見出だし、門を叩く者は開かるるなり。 ―― 新約聖書 マタイによる福音書 7章 1−2節 Lacrimosa.43 「うそ」 フェンスに背を預け、足を宙に投げ出し、遥か遠くを見つめて彼女はつぶやいた。薄く曇っている空が、ここからだとよく見える。 風は少しも容赦がない。 冷たいコンクリの床に座り込んでいたのと温度の低い風に当たっていたのとで、指はすっかりかじかんでいる。 まだそれほど時間は経っていないのに。 「馬鹿ね、私」 は自分で自分を嗤った。 手も、顔も、足も冷たい。マフラーで首を完全に隠しても、北風は服の隙間から入り込んで、彼女の体を冷やす。 寒い。 そんなのさえ、自業自得だ。 ハー、と息を手に吹きかけて暖めようとしていると、制服のポケットの中で携帯電話が震えたのがわかった。 それをあえて、彼女は気付かなかった振りをしてやり過ごす。 一体何度目だか知れないバイブ音。 今携帯電話を開けば、きっと同じ番号から何件も着信があり、同じアドレスから何通もメールが届いているに違いない。 どうせ無視するなら電源を切ってしまえば早いのに、なぜかそんな気は起きなかった。 どこかで、まだ繋がっていたい。 そんな思いが、彼女に携帯電話を手に取ることをためらわせる。 「馬鹿みたい」 与えられたものって何? 見出だされたものって何? 開かれたものって何? 望んだものは何も受け取れなかった。 それなのに、何で私は思い出したの? 「・・・さむっ」 一段と強い風に、体を堅くしてやり過ごす。風を遮るものはあまりないくせに、太陽光を遮るものはあるから、体感温度はかなり低い。 足元の更に下に見える、校舎裏の風景。武蔵森の敷地を分けるフェンスの位置から、今が座っている場所は男子棟側なのだとわかる。 高い位置からの景色は離れた所までよく見えたけれど、季節のせいか時間のせいか、その校舎裏には誰もいなかった。校舎を隔てた校庭からは、とぎれとぎれに話し声がする。あちら側には人がいるのだ。 こちら側にいるのはだけ。 間近で聞こえる声は自分の独り言。 耳に入る音は、北風の通る空気の流れの音。 南京錠とフェンスが互いに触れ合う音。 落ちた葉っぱが地面をこすって飛ばされる音。 一層寂しさをかきたてる音ばかりだ。 はただ座って、下を眺めていた。 どれくらい時間が経っているのかわからない。ポケットの携帯電話が鳴るのを止めてしまってから、ずいぶん経っている気もする。 あちらこちらでざわめきが目立つようになる。 もう、行動時間なのか。 なら、昼はとうに過ぎている。 ジジッと微かに音がしたかと思うと、不意に大音量で校庭に設置されたスピーカーから放送が流れた。 『高等部1年D組のさん。高1D組のさん。至急教員室まで来て下さい。繰り返します、高1・・・』 ようやく来たか、とはひとりごちた。 もし今の時間が昼過ぎなら、教室で呼び止められてから実に3時間は経っている。 「・・・結構時間かかったかもね。行くのめんど」 クスリとは小さな笑みをもらす。 ふと気付けば、また制服の中で携帯電話が震えていた。 それにも出るのをためらって、はポケットに手を入れると、画面も何も見ないまま電話を切った。 彼だか彼女だか知らないけれど、この人は放送を聞いたんだ。 もし彼からのメールだったら返信したかもしれない。電話だったら、出たかもしれない。 けれど、それすら確かめられない。 ねえ、求めたら与えられるなんて、誰が言ったの? Back Top Next ++あとがき++ やっぱり聖句は文語体の方が良いと思う。 独特のリズムがあるし、言い回しも断然格好いい。 「求めよ、さらば与えられん」と「求めなさい、そうすれば与えられる」。 後者の方が今の聖書は多いんだけど、前者の方が好きなのです。 って言うか身分の低いイエスが丁寧語使ってる様子が想像できない。 ところで、「教員室」って言いますか、「職員室」って言いますか? 2006/12/15 |