それが嬉しかった。
まだ期待していた。

それだけ。





Lacrimosa.45





電話を切って、はゆっくりと後ろを振り向いた。
カシャンとフェンスがぶつかって音を立てる。
振り向いたは予想通りの人物――三上亮の姿を認め、にっこりと笑った。

「お久し、亮」
「・・・それが最初に言う台詞かよ」
「うん、そうだね。ごめんね」

笑った顔のままが謝った。彼女はいつでもすぐ謝る。今はおそらく本心からなのだろうが、それでも三上の気に障る。


「おい、そういう問題じゃねーよ、つーか・・・何でおまえそっちいるんだ?」

フェンスを隔てて、三上が問い詰める。
2人がいるのは共同棟の屋上。周囲には安全策としてフェンスがぐるりと張ってある。
高さは三上の腰よりわずかに上くらいで、が簡単に乗り越えられるような高さではない。
さらに、そのフェンスの外側には40p程しかコンクリの床がせり出ていなく、彼女はその場所に座っていた。

同じ場所にいるのに、フェンスを隔てて向こう側とこちら側。そして向こう側は、一歩足を踏みだせば地上16m。下はコンクリートの上に土がかぶさっている状態で、植え込みはなく草は枯れ切っている。

落ちてしまえば確実に無事では済まないのに、それを防ぐものがない場所には座っていたのだ。

後ろを向いた見えない表情が、三上を不安にさせる。
このまま自ら落ちても、何の不自然さもないような薄気味悪い空気が渦巻く。

それを強めるかのように、はぽつりと言った。
ふざけているかのようないつもの明るい口調が、不安感を更にあおる。


「いつでも死ねるようにって思って」
「ふざけ・・・っ」

カシャンと再びフェンスが鳴る。それも、振動が残るほどの音を立てて。
下に見えた人影がぎょっとしてこちらを見上げ、がそれに対してゆるゆると手を振った。

「・・・亮はどうしてここに来たの? 部活あるんじゃないの? ほら」

がどこか遠くを見ながら尋ねた。
指し示したい位置は校庭なのだろうが、この場所からだと校庭は見えない。

「渋沢の許可もらってんだよ」
「へー。ポジションとられても知らないよ」
「・・・おまえ、何で俺が来たかわかってねーだろ」

低い三上の声に、は視線を彼の方へと戻した。
笑っていたはずなのに、珍しく無表情になっている。

「知らない。に怒られたから?」
「何でいつもそれなんだよ!?」
「だってそうでしょう?」
「人を心配させといてそれかよ」

の表情が少し驚いたものへと変わる。それから、顔を背けてうつむいた。
校舎裏に見えていた人影は、いつのまにか消えている。

「・・・わかんないな。私のせい?」
「おまえ以外のせいでこんな寒い所まで来ねーよ」
「そっか・・・」

最後の声が擦れて消える。
吹き込んだ風がの黒い髪を肩から巻き上げた。それを押さえることもせず、彼女はそのままの姿勢から動かないでいる。


「・・・何がしたかったんだよ」

うつむいて黙りこむに、痺れを切らした三上が尋ねた。
何が、と彼女が小さく問い返す。

「そこに座ってること。テスト。・・・リスカ」
「全部じゃない・・・」

ふふ、と微かな笑い声が漏れた。声色は変わっているものの、本当に笑っているか表情はうかがえない。
一息おいて、は髪をかきあげると顔を上げた。


「全部、私のわがままだったんだ」
「全部?」
「そう、全部」

力ない笑みが、見えない表情の裏から時折こぼれでてくる。

「ただの私のわがままで、それだけのくせに亮もも、かっちゃんも巻き込んで。いっぱい迷惑だけかけて」

最低ね、と言った後彼女はようやくまた三上を見た。
顔には貼りつけたような笑顔が浮かんでいる。

「ねえ、本当に全部聞く?」

確認するように、ゆっくりとが問う。

「でも、聞くんだったらそれで嫌いにならないで。嫌になったらすぐ言って。聞きたくなくなったら、すぐ言って」

三上が短くそれに返事をすると、は諦めたように大きく息を吐いた。


「あの、ね――」




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++あとがき++
はい、一歩前進。
ようやくまた三上も出たし。

2006/12/19