ひとつ、約束してください。
ひとつ、それだけでいいのです。
多くは私も望めません。
たったひとつ、大きなことを。





Lacrimosa.46





「構ってほしかったの」

は一言つぶやいて、また大きく息を吐いた。それから、三上の出方を伺うように黙りこくる。
しかし彼が何も言わないのを知って、彼女は次の言葉を選びはじめた。

「色々私がしたことはあったけれど・・・結局は多分全部同じ。構ってほしかったの」

自然と声が震えそうになるのを、無理矢理に押さえ付ける。
口の中がからからに乾いて、言葉を紡ぐのが難しい。
いつか、リスカしているのが彼に見つかった時の、あの感覚。頭の中が真っ白になった、その時の感覚とそっくり同じものが、今も頭の中を支配する。

三上が黙り続けているのを不安に思いながらも、本当に沈黙が降りるのが怖くてはさらに続ける。


「リストカットは、その手段だった。もちろんね、それだけじゃないよ。嫌なことがあった時、どうしようもなくいらいらした時、そのときも切ってた。でも、1番の目的はそこじゃない。傷だらけの手首を見て、心配してもらえるのが嬉しかった。
・・・最初はね、きっと別の意味があったと思うんだ、私の中でも。1番最初に手首を切った時。でも、もうその時の理由なんて全然覚えてない」

は右手で、左の手首をそっと押さえた。
指先に血の固まった跡が触れる。
左手は血が通っていないと思えるほどに冷たく、右手よりも幾分血色が悪かった。

「それでも、最初は、付ける傷が小さかった。すごく浅かったし。でもいつのまにか、最初にリスカしてた意味なんて忘れて、これは人の気を引くための道具になった。だからどんどん深くなったし、傷跡も切る頻度も増えた。でも、同時に怖かった。こんな手首、気持ち悪いって。見られたら嫌われるって。亮にも言わなきゃって思ったんだけど、言えなかった。
深く切りすぎて血が吹き出た時はさ、さすがにちょっとヤバいかな、って思ったんだ。静脈が見事に切れたんだよ。でも、それ知ったかっちゃんが物凄く心配してくれて。それで調子に乗ったんだろうね、私」

横顔に自嘲気味な笑みが浮かんだのが見え、それもすぐに消える。

「・・・今回のテストも同じ。手首切ってももう駄目なんだ、って思ったけど、亮にもう1度振り向いてほしかった。そういうわがまま。
その癖そんなことは絶対言えなかったし、別れないでくれてるだけ幸せだと思おうと思った。亮の周りの女の子に嫉妬はしたくなかったし、それなら形だけでも傍にいられるなら良いと思った。でも、それだけじゃやっぱり嫌だった。
・・・結局のところはこうやって試すようなことまでし始めて・・・本当にごめん」

赤い血が心を安らげた。
心配してもらうことで、愛されてると確認した。
気にしてもらえるようになるのが嬉しかった。

どれも自分勝手なことばかりだ。


長い告白を言い終えると、は再びうつむいた。
堪えていたはずなのに、目頭が熱い。今まばたきをすれば、きっと堪え切れなくなってそのまま流れるのだろう。



「・・・俺は」

昼過ぎなのに、気持ち悪いくらい音がない。

「おまえのわがままに振り回されてたってわけか・・・」

三上の吐き出した言葉に明らかな嫌悪と侮蔑が含まれているような気がして、耳を塞ぎたくなった。

何を、いまさら。
こうなるだろうとわかっていて、それでも自分でやったことじゃない。
それで何を言われようと自業自得で、そんなことくらい頭では十分理解している。

目に留まり切れなくなり、涙が大粒の滴になって頬を滑り落ちた。
無意識に手首の傷にやった右手の爪は、朱色が付き始めているのにも気付かなかった。

「・・・っ・・・ごめ・・・ん」
「言うことはそれだけか?」
「ごめんなさい・・・」
「だから」

何度でも謝りそうなの口を止める。
彼女の頭の上に手を置くと、小さくしゃくり上げた振動が伝わってきた。

「あきら・・・」
「ばーか。一人で勝手に泣くなよ」
「ごめん・・・」
「それも」

うつむいたままのの髪をくしゃりと撫でる。
長めの髪が指に絡まって、するするとほどけて肩にまた落ちていく。

「もう謝んな」
「ごめんなさ・・・い」
「・・・俺の話聞いてるか?」
「ごめ・・・」

露骨に三上がため息をつく。
それがおかしくて、下を向いたまま、は少し微笑んだ。

「何笑ってんだよ」
「ううん・・・何でも・・・な、い・・・」

涙が収まってきて、途切れながらも声が出る。
最初に見つけた時の不安感はいつの間にか消え、心なしか変化したの声にほっとした。

「俺はそんなことでおまえを嫌いになったりしねーよ」
「うん」
「だから泣くな」
「うん・・・」

嬉しくて、止まりそうだったのに余計に涙が溢れる。

「泣くなって言ったそばから泣くなよ・・・」
「ちが・・・っ、嬉し、くて・・・」

涙がぼろぼろこぼれるのに、何故か口元に笑みが浮かぶ。
嗚咽と笑みで、小さな声が暫くの間響いていた。
いつの間にか周囲に喧騒が戻っている。
小さなの漏らし続ける声は、次第に喧騒の中に紛れ、聞こえなくなった。
目を拭う右手の指先には朱色が、爪には赤黒いものが付いている。
そっと覗き込んだ左手の袖の中は、白いワイシャツに点々と赤い跡が見えた。


「もう切るなよ」
「・・・何を?」
「手首」

が目を押さえたまま顔を上げて三上を向く。
手で隠されていない左目は真っ赤で、鼻も頬も赤い。

「変な顔」
「そうじゃないでしょ・・・・」

抗議するに三上はいつもの人を馬鹿にしたような笑みを見せる。
それからまた彼女の頭の上に手を置くと、真面目な顔に戻って声のトーンをひとつ下げた。

「・・・もう、切るなよ。おまえが何で切ってるのかは聞いた。リスカしておまえが救われてる部分もあるのはわかってる。でも、もう切るな」

の目に戸惑いの色が浮かぶ。
黙って逡巡し始めた彼女に、三上は続ける。

「俺はやっぱ・・・おまえが切ってるのは見たくねーよ。・・・強制はしない」
「・・・約束は出来ない」

が静かに返す。
含みのある物言いに、三上も黙ってそれを聞く。

「でも・・・。努力はする。切らないように頑張る。それは約束する」

三上の指先で、の髪がさらりとこぼれる。
冷たい風がまた一陣吹いて、周りの喧騒を掻き消した。



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++あとがき++
つ、次くらいで終わります・・・。

2006/12/20