春が必要なのは、どこも同じ。





珊 瑚





今日だけ、休みを貰った。
正確には「買った」だけれど。
そして、榛原に向かう。何となく吉原に行く気分じゃなかった。

それに、気になる噂がある。
吉原でもお目にかかれないような女郎が、榛原にいると。

ならばこの目で見てみたいと、そう思った矢先。
歌を紡ぎながら男と言葉を交わす、一人の娘。
抜けるような白い肌に漆黒の髪の、溜息が出るほど美しい娘。それは、今まで見たどの女よりも。

「・・・夕霧?」

いるわけがない、と。そうは思っていたけれど、確かにあれは。
彼女はこちらをじっと見て、ゆっくりと近づいてきた。





「私を夕霧と呼んだのは、あなたよね。知っているのかしら?」
「吉原であんなにも有名な夕霧太夫を、知らない者がいるとでも?」
「顔を知っている者は客以外ほとんどいない。錦絵くらいではわからないもの」


思ったとおり、その娘は吉原から消えた夕霧太夫。まさかこんな所でまた働いているとは、夢にも思わなかった。
祝宴も何も無かったのが不信だが、渋沢か誰かに、請け出されたとばかり思っていたのに。

「吉原には何回も行ってるから」
「そう・・・。でも、私はもう夕霧じゃないわ」

そんな大層な身分は残っていないもの、と自嘲気味に彼女は言った。

「じゃあ、今は?」
、よ。だから夕霧なんて呼ばないで下さる?」
「ふーん・・・」

別に夕霧だろうとだろうと構わないし、それで困るような事もない。


「それで、あなた、お仕事のほうは?」

立ち止まっての方を見る。
こうも早く気付かれるとは思わなかった。

「休みだけど・・・わかった?」
「ええ。容姿とか香とか、色々思ったことはあるけれど」

あなた、同じ匂いがするもの。

目を合わせて、ゆっくり彼女は言った。
太夫ほどにもなった女郎は、そんなことまでわかるのだろうか。
とにかく頭が良いのはわかった。それだからこそ吉原で太夫になって、その後に榛原でも溶け込めているのだろう。

「陰間の方でも、こういう所に来るのね」
「それは偏見じゃない? 吉原なんかは別に女遊びだけの場所じゃないし・・・俺だって好きで商売してるんじゃないしね」

たまたま人より色が白くて、人より顔が整っていた。
そして、そういうものを一番有効に使って稼げるものと言えば、この仕事が浮んできた。
数の少ない陰間茶屋には、女人禁制の坊主たちが来る。どこぞの大名もお忍びで来る。可愛い少年なら、遊女同様身請けされることもある。
その少年の行き着く先など、考えただけでもぞっとするけれど。



何をするでもなく、榛原の街をふらふらとさまよう。
恋人よろしく、は腕を絡めて寄り添ってくる。その姿が厭味でもなく鬱陶しくもないのは、吉原で身に付いた商売柄だろうか。

賑わっていても通りを歩く人々はほとんどが町人で、吉原と違う岡場所独特の雰囲気を出している。
来るもの拒まず、といった大衆に広げられた雰囲気が。

道行く人は男も女も、皆こちらを振り返る。はもちろんのこと、自分だって人目を惹く容姿だというのは自覚している。
は気にしていないようだし俺も慣れているけれど、それにしてもその視線は露骨だ。


「こうやって来て下さってるなら、・・・私を買ってくれるの?」
「買って欲しいなら買うけど。それより、こうしてるのはもう揚代のうちなの?」
「まさか。私が勝手にやってるのに、そんな暴利なことしないわ」

思った以上にの店は良心的らしく、口に出して約束するまでは買ったことにならないそうだ。
それではのような事をしていると全く商売にならないだろうに、彼女はそれでも良いらしい。

「奉公が終わらなくなるんじゃない?」
「そうね・・・。でも、構わないの」
「どうして?」
「ここは嫌いじゃないし・・・」

好きだった人が亡くなったから。

目を伏せたは小さな声で、でもはっきりと言った。
それからがらりと表情を変えて微笑む。

「そんな話は無しね。もう過ぎた事」
「自分から話したんでしょ」
「夕霧なんて久し振りに呼ばれたから」

火事もあったことだしね、と彼女は付け加える。くるりと向きを変え、ニ、三歩先を進むとまたこちらを向いて立ち止まった。
街に灯された炎で、濡れた瞳が黒曜石の光を放つ。

「女の私でも、あなたはお相手して下さるかしら?」

見上げられて視線が絡む。

「夕霧太夫に申し込まれるなんて光栄だね」

夕霧じゃないと言われつつも、何度も聞いて馴染んだ夕霧の名。
二回目の今、もう彼女は否定はしなかった。

「揚代は?」
「私が頼んだんだもの、私が買うんじゃない?」
「いいよ、俺がを買うから」
「でも、今日の私は遊女らしいことをしたくないの」
「別にいいよ」

は驚いたように目を丸くして、俺を見つめる。

「だってあなたも・・・」
「俺の相手はの相手より金持ちだし、どうせ来年で終わる」

僧侶や大名は当然そこらの町人なんかよりよっぽど金回りが良い。
吉原の格子程度には稼げている。

「そう、なら」
「どうする?」
「付け値で結構よ」

「・・・わかった」



灯りに揺れる榛原の街。
凍える夜はまだ長い。



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++あとがき++
お詫び申し上げます。
ごめんなさい。本当にすみません。

でも綺麗な子しかなれなかったみたいだし・・・。需要も江戸時代なら結構あったし・・・

2006/08/10