逢いたい、それだけのために。 茜 丙午の話を知っている? 丙午は南方を示し、丙も午も火を表す。つまり、火の勢いが非常に強い年。それ故、丙午の年は火事が多い。 そして、その年に生まれた女は、気性が激しく男を喰い殺す。 そんな話。 「この・・・お寺さんに?」 「ええ、そうよ。秦泉寺、言ったでしょう?」 玲はにっこりと微笑んだ。 榛原の街が焼けた。 乾燥した冬、火の勢いは止まる所を知らない。瞬く間に燃え広がって、榛原一帯を焼き尽くした。 当然、玲の仕切る店も焼けた。そこで店は休業状態にし、七日ばかり、仮住まいが出来るまではその寺に居候となったのだ。 そこが、秦泉寺。 倒壊寸前とも言えそうなぼろい建物。寺地は雑草が生い茂っている。そんな所で。でも確かに、表には「秦泉寺」と書かれている。 「うっわもう来てるよ、早いなー。ご案内しろって言われたんで、こっちにどうぞ」 玲以外不信な顔で立ち尽くしていた所に、少年が走ってやって来た。 誠二と名乗ったその少年は、勉強と躾をかねて幼い頃からここで見習いをしているらしい。 女の身では本来、寺の中には入れない。それが戒律というもの。千人と寝れば観音と言われた遊女たちでも。 たちは寺の本堂から遠く離れた小さな庵をあてがわれた。 勝手にうろついてはいけないし、庵の中では碁とおしゃべりくらいしかするものがない。 遠く聞こえる経を聞きながら、ぼんやり有希とと庭を眺めていた時、ふいに後ろから声がした。 「君さ、ちゃんでしょ」 「きゃ!」 驚いて後ろを振り向くと、誠二がにこにこと笑いながら立っている。 「あったりー?」 「何で?」 「こんなもの持ってるから」 見せられた一枚の紙。錦絵の原画のようなもので、でもとても緻密に描かれたそれは。 「これ、どう見てもね。・・・あの時の」 有希が呟く。 描かれていたのは、間違いなくだ。 「どうしてこれを・・・? だってこれは、」 「貰ったんだよね。タクから。あの日のちょっと前に。しっかしおらんだの人は上手いねぇ。でも本物の方が美人だなー」 太夫だった時、一度だけ来たおらんだの画家が描いてくれたもの。それをは竹巳に渡していた。 めぐって再び目にする時があろうとは。 「あんたと笠井って知り合いなの?」 「タクはね、昔ここにいたんだよ。同い年なんだけど俺と違って頭良くってさ、それで外で勉強した方がいいってここから出されたんだけど」 言葉を切って誠二は目を伏せる。 だって彼は、笠井竹巳は。 「そうだ、こっちにタクの墓がある。来る?」 「え、でもここは・・・」 「へーきへーき。ばれないって。それに来た方がタクも喜ぶし」 そう言って連れて来られた、本堂の裏。不器用に飾られた花は、多分誠二が置いたのだろう。 半年ぶりの彼を目の前に、の目から涙がこぼれる。 二人は、何も言わないでそこにいてくれた。 あっという間に日は過ぎ去る。檻に移されていた鳥も、再び小さな籠の中。 は部屋に戻っては、小さく溜息をつく。 あの寺と、あの墓。 思い出す事はなかったけど、忘れる事もなかった彼。 もう一度、あそこへ行きたい。けれど、女郎の身では寺へ行くどころか、榛原を、この店を出ることすらままならない。 出られる方法は二つだけ。金を積み立てて女郎を辞めるか、災害が起きるか。 先日の、火事のように。 「逢いたい・・・」 「止めておきなさい」 つい口に出てしまった独り言に、有希が返した。 「思い詰め過ぎ。火でも付けそうな顔してるわよ」 「うそ・・・」 「本当」 まるで八百屋お七ね、と有希は付け加える。 「・・・そんなに?」 「そんなに。まあ、は丙午じゃないけど」 生まれる前の事件だけど、八百屋お七の話は知っている。 お七の家が火事になって焼け、寺に避難をした。そこで出逢った寺小姓の吉三郎に恋をする。 やがて家は再建されてお七は戻るが、どうしても吉三郎の事が忘れられない。その想いは募りに募って、もう一度火事が起きたら逢えるかもしれないと思って放火した。 火付けは大罪。当時十六になったばかりの彼女は火刑に処せられている。 「でも、火事になったら本当に逢えるのかな・・・」 「馬鹿なこと言わないでよ!」 激昂した声に、の肩がびくりと震える。 「何言ってるの? 火事になったらどれだけ大変な事か・・・わかってるでしょ! それに半鐘を鳴らしただけで死罪なのに、火付けなんて・・・」 詰め寄る有希に、は苦笑しながら謝った。 「ごめんね、わかってるから。やらないから、もう考えないから」 「・・・大丈夫?」 「うん」 この前逢えたのが、幸運だっただけ。何度もそれを望んでは、ばちが当たる。 ・・・・でも、わかる。 その時の、お七の気持ち。 赫い炎に心狂わせて、恋しい人を想う気持ち。 Back Top Next ++あとがき++ 冬って言っても、10月とかその辺。今で言う11月。もう寒い。 八百屋お七が丙午生まれって言うのは俗説で、実際は違うらしいです。 「秦泉寺」は「しんぜんじ」ね。 絶対藤代はこの時代少年って歳じゃないんだけど、言葉が見つからないので許して下さい。 2006/08/03 |