あなたにも、幸せが訪れますように





浅 葱





来てしまった。
自分とはきっと縁が無いだろうと思っていた、こんな所に。

広くもない通りの両脇には、ひしめき合うように店が並ぶ。
屋台、見世物小屋、劇場、そして遊郭。
江戸有数の色の街。

通りを歩く人々は、実に様々。
武士が居る。商売人が居る。町人が居る。

日がすっかり沈んでも、活気を失わず、むしろ余計に栄え始めた。
誰も彼も浮かれていて、街全体が賑わっている。

自分が賑やかな所が苦手という事は知っていたが、それ以上に場違いな感じがした。
年齢も身分もこの場所に溶け込んでいるのに馴染めない、そんな居心地の悪さ。


一人で歩いても、榛原はきっと面白いのだろう。
けれども、そんなことを考える余裕もない。

声をかけてくる女にも、無視を決め込む。
香の匂いがきつ過ぎて気分が悪い。

ここは、そういう所なのに。



ふと目に付いたのは、小さな人だかりだった。
見世物小屋の前でもないのに、人が溜まっている。少し気になって、人の隙間からその中心を覗き込んだ。


人山の中に居たのは、一人の娘。
緑の黒髪、透き通るように白い肌の、自分と同じくらいの娘。

見覚えがあるような気がした。
それは至極直感的に、理由も無く。


誰だっただろうとじろじろ見回してしまって、ふいに目が合った。
目を背けようとするとふわりと微笑んで、それがあまりにも綺麗だったものだから、逸らす機会を逃してしまう。
その彼女は人だかりを抜けて、こちらへやって来た。


「ご一緒しましょう?」
「え?」

唐突過ぎて言葉を失う。周囲では、羨望と嫉妬の声が聞こえる。

「ご一緒しましょう。せっかく榛原に来たのだから」

にこりと微笑まれて、わけもわからないまま頷く。
喧騒は遠のいた。




連れ込まれた場所は、一件の茶店。休憩所ともなるような場所だが、町にあるものと微妙に雰囲気が違う。
奥には着飾った女が幾人か並び、客を招いている。店の表にも同様に。

、どうしたの、そんな子捕まえて。またえらくうぶな子ね」
「ふふ、可愛いでしょ。さっき外で見つけたの」

に見劣りしないくらい美しい娘が、からかうような口調で言ってくる。
その彼女もまた、一人の男と一緒だ。

も物好きね。お遊びが過ぎるわよ?」
「有希みたいにいたいけな少年をいじめる趣味はないわよ」

笑顔で語り、笑顔で返す。
有希、と呼ばれたその娘は、少し真面目な顔になるとにそっと耳打ちした。
喧騒にまぎれて、それでも断片的に聞こえた会話。つなげると、それは。



夜だというのに、店は明るい。中のあちらこちらに蝋燭が灯され、その橙の光を揺らしている。
ひたすら広い座敷の一角の席について、茶と菓子だけを出してもらう。
屏風で仕切られたその中に、がさらに油を灯した。
行灯の中で炎がゆらりと燃えている。それが、ただでさえ浮世離れしたこの店を余計に幻想的に見せた。

「あなた、まずお名前をお聞かせ願えるかしら?」
「え? あ、ああ・・・・・一馬だけど」
「そう。一馬さん、ね」

ジジ・・・と音を立てて、菜種が燃えている。
屏風しか周りと遮るものがないのに、この場所は静かだ。

「あの・・・さんは何で」
で結構よ。みんなそう呼ぶの」
「じゃあ・・・は何で俺を」

俺を、あそこから連れ出したんですか。
そう聞かれるのをまるで知っていたかのように、は答える。

「有希・・・さっきの綺麗な子だけど。あの子の言った通りよ。慣れてなさそうだったから」
「・・・」
「だってあなた、色里に来るのは初めてでしょう?」

頭がカァッと熱くなって、顔が赤くなるのがわかった。
この年にもなって色に縁がないといえば、それは決して名誉な事ではない。
くすくすが笑う。

「そんなに固くなることはないわ。私が誘ったんだし」
「でも、俺、お金も・・・」
「いいのよ、そんなの気にする事じゃない」


「ちゃんとお金は取りなさいよ。」
「そんなことしないって」
「何言ってるの? そうやってまた身揚がりして。奉公が終わらなくなるわよ」
「大丈夫よ。大丈夫だから、有希」
「・・・身まで滅ぼさないようにね」



あの時の、会話。
あの話を聞いてしまって、それでどうしろと。

「どうしました?」

黙ってしまった俺に、の心配そうな顔が近づく。

「・・・俺が金払えなかったら、の働く・・・」

ふと視界が暗くなり、唇にやわらかいものがあたって言葉は遮られた。
数刻の後に目の前は開け、の微笑。
白い指をすっと俺の唇にあてて、静かに言う。

「だめよ、そういう話は。もっと粋にならなくちゃ」



だってここは榛原、現実から隔離された夢の里。ねぇ?




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++あとがき++
榛原、一馬編。・・・もっと喋ってくれ!
あんな子はそもそも此処へ来ない。
なのになんで来ちゃったかは秘密。

2006/08/06