英語、日本語
日本語、英語。
異国の地。

だから必要なもの。





の 方





つたない英語で伝えられたの依頼を、渋沢は快諾した。
それから毎日夕方に通えば、は笑って渋沢を出迎える。

の上達は異常なほどに早かった。
英語が話せないと、話せても僅かな単語だけだと、いつかそう聞いていたのに。

教えると言っても、にも聞き取れるようにゆっくりと話し、解らなさそうなところは覚えたばかりの日本語を挟みながら説明する、それだけ。
渋沢だって、日本語が話せるわけではない。こちらに移ってもう半年くらいになるだろうけれど、居留地では日本語を話す必要など皆無なのだから。

彼女の役に立ちたいと思うのに。






「んー、伯爵家の、っすかー?」

机に突っ伏した誠二が、渋沢に聞き返した。

「それならタクの方が知ってますよ。な、タク」
「うるさい。しかも日本語」
「だーってキャプテンが英語で話されると日本語覚えられないって言うから」
「誠二の日本語じゃ勉強どころじゃないだろ」

ひでーと言う誠二の文句を、竹巳は黙殺する。


「でも何でいきなり?」
ちゃん可愛いからだよ」
「誠二の答えは聞いてない」

すぐにギャーギャー騒ぎだして、その二人を渋沢は面白そうに見ていた。
仲が悪いわけではないこの二人の喧嘩は喧嘩にもならず、見ていて微笑ましい。

「もういいよ・・・で、この人は何て聞いてきたわけ?」
「あ、そうだ。家のさんは本当に英語が話せないのか? だっけ」
「は?」
「うんうん、そんな感じだった」

覚えていたことに満足なのか。誠二はひとりで頷いている。
竹巳は渋沢の問に混乱しながら、誠二に尋ね返した。

「何でそんなこと・・・」
「あー、キャプテンちゃんに英語教えてるんだって」
「教える?」

そんな、教えることなんてできるのだろうか。
竹巳は訝しげに渋沢を見て、考える。

「いつから?」
「えーっと・・・三ヶ月くらいだっけ?」
「それじゃあ」

三ヶ月。それだけ有ったなら、そしてなら。十分話せるようになっていても、おかしくはない。


全く喋れないんだと、そう思っていた。
そう渋沢は言った。

間違いではない。
が英語を殆ど話せなかったのは本当だし、そう竹巳が伝えたのも本当だ。
けれども、に今英語を教えれば、すぐに話せるようになるのも事実。

彼女は英語が喋れないのではなく、話さなかっただけなのだから。


家は先代当主の影響もあって、の死んだ母親以外は英語が話せる。
当然、も例に漏れない。
ただ、華族の令嬢というだけあって外で使用することは滅多になかった。家庭教師相手に、父や祖父の客人相手にだけ、話していた。

しかし、次第に祖父が亡くなり、母親が亡くなり、兄は帰らず、父親は荒れた。
すぐに家庭教師は暇を出され、家には人も来なくなった。

立て続けに様々なことがあっては一時期ふさぎ込み、屋敷から動かず、一言も喋らない日が続いていたこともある。

そうこうしていた約二年、はまた笑うようになったけれど英語はすっかり忘れてしまっていた。

――だから。



「でもキャプテンが英語教えててちゃん話せるんだったら、鹿鳴館で人気者かも」
「え?」
「鹿鳴館?」
「そうそう」

鹿鳴館の名は、あちこちに広まっている。
渋沢も知っているようで、反復すると誠二が自慢げに説明した。

「鹿鳴館って、今女の人がなかなか来なくて困ってるらしいっすよ」
「そりゃああいうところ慣れてないし・・・」
「そこで、ちゃんの出番」

誠二がごそごそと荷物の中から取り出したのは、白い横長の封筒だった。

「何で誠二が!?」
「父さんから預かった。もちろんタクの分も!」
「・・・また?」
「そう言ってタク何回断ってんだよ、せっかくあい・・・・うぎゃっ」

せっかく相手が今度は居るんだから。
誠二が続ける前に竹巳は彼の足を踏んで黙らせた。





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2006/10/17