一方通行ではないだけで、通う向きは変わらない。 こちらから、向こうへ。 それだけ。 いつまで待ってみても。 暁 の 方 「すみません・・・」 申し訳なさそうには頭を下げた。 三日に一回、そのくらい頻繁に渋沢は通ってくる。その度にの父である佳一は彼を追い返し、は彼に謝る。 何回、何回やってきても変わらない結果。 それなのに何故またこの家に来るのか。 せっかく来ているのにただ追い返すのも忍びなくて、は紅茶を出す。 高価な舶来品の紅茶は、伯爵の身分と佳実の人望でたまに贈られるもの。 だから、佳一は伯爵を捨てられない。 一部の公家の中には、落ちぶれて爵位を投げ出す者だっているのに。 ティーカップがふたつ、応接間の机に置かれている。 空になったカップは渋沢に出されたもの。すっかり冷めてしまった飲みかけの紅茶が入っている方は、の前に置かれていたもの。 ついさっきまでは彼がいて、紅茶からは湯気がのぼっていた。 けれども、今のこの部屋は冷たくて暗い。 はソファーに座り込む。 あんなにも来てくれているのに、何もできない自分がもどかしい。 佳一は相変わらず渋沢を毛嫌いしていて、名前を告げただけでグラスが飛んでくる。 それを何も変えられないで、渋沢に謝る。 言葉もろくに喋れない状況では通じているかも怪しい。 それでも、渋沢はまた来る。 ああ、もっときちんと、相手が出来たなら。 は唇を噛んだ。 彼の言うことが全くわからないわけではない。土地柄か、彼が話すことを聞き続けたせいか。それとも、昔来ていた家庭教師のお陰か。 ある程度聞き取ることは出来るし、その内容を理解することも出来る。 でも、それと会話をすることは別問題だ。 話すことが全く出来ないわけではなかった。 この街は居留地が近く、そこには異国人がうろうろしている。英語を筆頭とする各国の文字が看板を飾り、そこを歩く人々は自国の言葉を話し、そうでなければ英語を話す。 祖父がまだいた頃は通いの外国人家庭教師がいて、その人と色々なことを話していた。 読むのと書くのはまだ出来るのに、もう話せない。 口を開いても、言葉が出てこない。 今までは問題なかった。 祖父の佳実は英語が話せた。父も一応話せたはずだ。兄も出来た。近くには竹巳もいる。だから何の不自由もなかった。 けれども、祖父は死んでしまった。父は渋沢がいては出てこない。兄は帰らない。 竹巳は・・・彼も、多分渋沢を嫌っている。きっと。 竹巳に聞こうかと一瞬思って、すぐにはその考えを打ち消した。 彼は忙しい。塾に通って、家庭教師がいて。 この家に顔を出して。それから、自分の家でまた勉強して。 爵位を持っていても、もう家庭教師を呼べるお金は無い。 伯爵の身分を名乗るには、あまりにも貧乏で。 ・・・・彼に頼むことは、出来ないだろうか。 また明日、そうでなければ明後日、また訪れてくれるであろう彼に。 そうすれば、きっと。 そう、きっと。 Back Top Next 2006/10/10 |