息をつめて着るドレス。
痛さを我慢して履くヒール。
顔には薄く化粧を施し、日本髪は解いて流す。

この格好は、一体何のため。





の 方





笠井の屋敷の奥間。
大きな姿見と化粧台の前で、は閉口せざるをえなかった。

予想はしていたけれど、まさかここまで。


「あの、このドレスは・・・」
「素敵でしょう。絶対似合うと思ったのよ。後は大きさだけね」

通された部屋に待ち構えていたのは、夜会服と靴、手袋なや様々なアクセサリー類。それに使用人が数名と竹巳の母親。
彼女は嬉々としてにドレスの説明を始め、は冷や汗をかきながらそれを聞いていた。
何を言われていたかもよく解らないまま、コルセットを出されると後はもうされるがままになるしかない。


「じゃあちゃん、息吐いてね」
「は、はぁ・・・」

柱につかまって、ゆっくりと息を吐く。すると、手伝いの使用人がコルセットの後ろ紐を強く引っ張る。
苦しくて、呼吸もままならない。

「おばさま・・・。これ、もう少し緩くしてはいけないでしょうか」
「駄目よ! ちゃん細いから、これでも緩い方なのよ。我慢なさい」
「はい・・・」

きつさに顔を歪めながらも、コルセットを閉じては息をつく。
これも着るのよ、とバッスルをつけられ、ようやくドレスに袖を通した。
強調された細いウエストと後ろに膨らんだ腰。
欧州流行のバッスルスタイルのドレス。

ワインレッドを基調として、ビロード地で仕立てられたそれはフランスからの取り寄せ。
下ろした髪に煌めくのは、金剛石の髪飾り。

鹿鳴館に行くと聞いて喜んだ竹巳の母親が、自分の息子の分共々注文したらしい。

「裾は・・・ちょっと長いけど仕方ないわね。これでも少しは裾上げしたんだけれども。肩幅はこれで良いわ。腰も平気ね、さすがだわ」

じっと立っているを上から下まで何度も眺めて、彼女は補正箇所を決めていく。

「あとはやっぱり胸よね・・・。ちゃんでも少し余るなんて。詰めたほうが良いかしら・・・」

ぶつぶつ言いながら、布を取り出して服の中に押し込む。2、3箇所でもう一度全体を眺め、ようやく納得したのか顔を輝かせた。

「素敵よ! 羨ましいわ、私なんかせっかく取り寄せてもあっちこっち詰めたり切ったりしなきゃ着られないんだもの」

満足そうに彼女は頷く。
鏡の前のは、が知ってる自分とは別人のようだった。

「これで大丈夫ね、でもちゃん良い? 鹿鳴館に行ったら恥ずかしがらずに堂々としてなきゃ駄目よ」
「え・・・っ」
「今は酷いわ」

そうやって彼女は溜息をついた。

「高官の正妻たちはみんな芸者出身。きちんとした女性が正当に扱われる社交界は、日本にはないのよ。だからあなたは」

髪飾りの角度を直しながら、続ける。

「そんな人たちに負けては駄目よ。はい、では行ってらっしゃい」
「あ、ありがとうございます」

そっと部屋を出て階段を下りる。
着慣れなくて窮屈。でも、鹿鳴館に向かうまでの数時間で慣れなくては。

ゆっくりと玄関の前まで降りると、の方を見た竹巳が酷く驚いた顔をして迎えた。

「どうしたの、竹巳。・・・どこかおかしい所ある?」
「ううん、そういうわけじゃなくて。驚いた」
「似合わない?」
「そうじゃないよ、よく似合う」
「よかった」

が安堵の表情を作る。
竹巳は、の前に手を差し出した。

「外に馬車を呼んである。行こう」
「ええ」

にっこりと微笑んで、は差し出された竹巳の手を取ると玄関の段を降りた。

石畳を一歩進むたびに二人分の靴音が鳴る。
のドレスが、髪が揺れる。
竹巳の燕尾の裾が風ではためく。

ガス灯の灯が、月よりも明るい。




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2006/10/26