ぐるぐる。
世界が回っているような気がする。

なんて言ったの?
この人は、今なんて言ったの?





の 方





「おい、そんな睨むなって」

その声にはっとする。
意識せずに顔が硬直して、三上を睨む形になっていたらしい。
竹巳は改めて、目の前のかつての先輩を見て、それからを見る。
の顔は青い。

「何でを。三上先輩なら、他にも女はいるんじゃないですか? マルサス社の社長の噂はこちらにも届いていますよ」
「じゃあ手っ取り早く言うぜ。欲しいから貰うんだよ」
「・・・っ、帰ります」

竹巳がそう告げて、の肩を抱く。
もたれかかるようには竹巳に寄り添い、おぼつかない足取りで一歩進んだ。

「待てよ」

けれども、三上の低い一言でその足は止まる。
が緩慢に首を動かして、三上を見た。
黒真珠の瞳に光は無い。

「・・・何か?」
「返事を聞いていない」
「必要なのですか・・・?」

声色にも内容にも口調にも何一つにだって現れてはいないけれど、それでも感じる拒絶の意思。
がゆっくりと三上に向き直る。

「なら、お断りします」
「だろうな。でも悪い話か? お前の家はもう相当落ちぶれてんだろ」
「それでも・・・。私には、」
「笠井がいるってか」

鼻の先だけで三上が笑う。

「それなら、心配は要らないぜ。華族ってのはどうせ家が大事なんだ、そのうちお前たちの婚約は破棄される」
「何を・・・っ」

続けようとして、竹巳は黙る。
そうだ。ずっと気付いていたことだ。
の兄が死んだ時から。

「・・・帰ります、本当に」
「どーぞ笠井君」

恭しく三上が道を空けた。
厭味なほどに丁寧で、そしてその動作が似合う。
腹が立つ。

「ああ、の所には後で正式に使い出すから。断るなよ。ま、多分断れねーぜ」
「・・・っ」

が肩をびくりと震わせて目を伏せる。
竹巳は、の肩を抱いた手に力を入れた。






馬車に乗り込むと、御者は不思議そうな顔をした。
もう深夜という時間で外は日の光の欠片もないが、鹿鳴館から出るにはまだ早い。
はずっと竹巳の肩にもたれて、うつむいている。

・・・? ごめん、今日は色々やらせちゃったみたいで。随分緊張してたみたいだし」
「・・・わかった? 頑張ったんだけど」
「お酒飲みすぎ」
「見てたの・・・? でも、飲まなきゃ笑えなくて」
「わかってるよ」

完璧にこなしていたけれど、相当無理していたことは見ててわかっている。
ドレスも息苦しいだろうし、足ももうかなり痛いはずだ。人の目も多い。
酔いで気を紛らわせていないと、竹巳自身でもきついのだから。


「ねぇ、竹巳。・・・あの人たちは誰だったの?」
「ああ、塾の・・・昔の先輩と友達」
「そう」

が複雑な表情をする。
さっきまでの事を思い出したのだろう。

「本当に・・・来るのかしら」
「・・・かもしれない。でも、何も変わらないから」

変わらせない。
そんな簡単には渡さない。

急なあの一言だけで、関係を変えたりなんか出来るはずないと。
幾ら三上が、商社が力を持っていたとしても。

それだけでどうにか出来るものではないと、そう思っていたから。




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2006/11/07