許されない。
私だけじゃ、どうにも出来ない。
だって私は父の娘。
少しも偉くなんかない。





の 方





もう、彼に来てもらう理由は無いのだと。
そんなことをは考えていた。

英語が話せないからと通ってもらって、でも話せるようになってしまって。
今更もう話せない頃になんか戻れなくて。
日本語が話せないからと言っても、その日本語も意思の疎通は出来るようになってしまって。

だから、もう来てもらってはいけないのだと。
わかっているのに、言い出せない。

そしてその日も、とりとめもなく考えながら、いつものように渋沢を送り出そうとしていた。

けれども、ドアの向こうから聞こえてくる荒い足音。
よく知っている足音に、の顔は強張る。

「・・・急いで下さい・・・っ」

が必死に渋沢を玄関へ押しやるが、間もなく足音は止まって乱暴にドアは開かれた。それと同時に、罵声にも似た大声が浴びせられる。

「まだ来てたのか!」

酒の回った赤い顔で、僅かにふらつく足取りのまま立つ佳一が居た。
誰が見てもわかる。
彼の機嫌は、最低に悪い。

しかし渋沢を正面から見据えた佳一は、ふと厳しい表情を緩めた。
ただ、それもつかの間、今まで以上の激しさで語気を荒げる。


「そうやって何度も来て、何が目的だ! 金か、家か!? やる物など何も無い、さっさと帰れ!」
「お父様、」
「うるさい! だいたい、何でお前がこんなやつを家に入れてるんだ。の家を笑いものにする気か!?」

腕に縋りつくを力任せに振り払い、佳一はわめく。
突き飛ばされてはよろめいた。それでも、佳一は直接に危害を加えた事はない。
特に、顔には。

酔っているせいか、それとも。
佳一の剣幕に渋沢は押されて、一歩後ずさった。


「出て行け! も家も、絶対にやらん!」

佳一の語調は治まらず、手がテーブルのティーカップへ伸びた。
中身が空になっていたそれを、佳一は何の手加減もなく投げつける。
カップもソーサも宙を飛び、壁に当たったものは派手な音を立てて砕け、渋沢に当たったものは鈍い音を立てて落ちた。

「お父様、お願い、お止めになって! お父様・・・っ」
「うるさい、お前は口を出すな!」

が涙目で叫んでも、聞く耳は持たない。怒鳴り声と腕が、彼女にまで飛んでくるだけだった。

玄関のベルが、リン、と小さな音を立てた。



投げるものを投げ終わって、ようやく佳一の手は止まった。
飛び散った紅茶で、絨毯にも壁にも染みができている。
壁にぶつかり、チェストに当たり、割れて散った陶器の破片が落ちている。
凄惨とも言える状況の中では青褪めて立ちつくし、渋沢も呆然とその光景を眺めている。

ひとり佳一だけが、肩で息をしながら渋沢をねめつけていた。



ぱたぱたと複数の足音が重なって聞こえた。
張り詰めたように静かになった応接間に、それは大きく響いて空気を揺らす。

「竹巳様、そちらは・・・」
「そんなことを言ってる場合では・・・っ。、何が・・・」

最初に駆け込んだ竹巳は、部屋の状況を見て息をのむ。
突風が通り抜けたように荒らされた応接間。

―― どうして、こんな風になってしまうのだろうか。

言葉をなくして立ちすくむ竹巳の後ろから、一回り背の高い人間が現れた。
黒い髪、黒い瞳、下がった眦はそれでも意志の強さを見せて。

「三上・・・さん」

はその姿を認めるとふらりとよろけて、壁に手をついた。
それを見た三上が、意地悪い笑みを見せる。


佳一は訝しげに、竹巳と三上を交互に見やる。
三上がその怪しむ視線に気付き、彼の元へまっすぐ向かった。そして、軽く一礼する。

「初めまして。いえ・・・お久し振りです、佳一様。三上亮です」
「三上・・・?」

佳一が思い出そうと考えをめぐらせる。
やがて答えに行き着いたのか、表情を和らげた。

「ああ、三上子爵の・・・。わからなかったよ。帰ってきたのか。今は何をしてるんだ?」
「マルサス商会の代表を。ところで、本日は折り入ってお願いがあって参りました」
「何か?」

尋ね返す佳一に、三上は僅かに口角を上げる。
それからぐるりと部屋を、竹巳を、を見回して渋沢のところで視線を止めた。
小さく驚きの声をもらしそうになった後、表情を取り繕ってまた佳一に向き直る。

「このような時に言うのもどうかと思いますが」
「構わない。何だ?」

責めるような佳一の視線に、三上はひとつ息をはいた。


「お嬢さんを頂きたいと思っています」




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2006/11/17