そうやってもたらされるであろう別れを
こうやって懼れている

いつかくるかもしれないと
どちらも捨てられないせいで





の 方





背筋を伸ばして、軽くドアを叩く。
入りたくない。こんなに改まって呼ばれるなんて、きっと良いことはない。

「入りなさい」

落ち着いた声が返ってきて、「失礼します」と短く告げて扉を開ける。
扉は重い。

書斎を兼ねた絨毯敷きのこの部屋は、竹巳の父親の部屋。
正面の大きな机と大きな椅子。背後には大きな窓と厚いカーテン。
父親が近寄るようにと竹巳に手招きし、竹巳は机の前までゆっくり歩いていった。


「大事な話がある」
「はい」

小さい話ではないということは、来る前から承知していた。食事の時に話せるような話題ではない、ということだろうから。
父親は大きく息を吐いてから、ゆっくりと告げた。


家との縁談をやめようと思う」
「・・・え・・・・・・?」

あまりにも予想外の話に、竹巳は言葉につまる。頭の中で整理しようと試みるが、整理するどころの話ではない。
いや、整理できるほどの情報を与えられていない。


「竹巳、聞いているか」
「あ、はい・・・。伯爵の、との・・・ですよね」
「そうだ。今月中にでも、正式に解消する」
「そんな・・・・っ」

何故、何故。
そんなの、もうわかっている。
あの家にひとり欠けた時から、この時のことを考えずにはいられなかったのに。

覚悟していたことは、とうとうやって来た。

「竹巳もわかるだろう。お前はこの家を継ぐんだ」
「わかっています。しかし」
の嫡男は死んだ。あちらも家を潰したくないだろうからな」

そう。
の兄が死んだ時から。
死んだと決まったわけじゃない、けれど死んだことはもう確実で、葬式までした時から。

もうあの家にはしかいない。
笠井の家は、竹巳が跡継ぎ。

の家が伯爵を捨てられないのは知っている。
黙っていても収入のある暮らしが、周りから慕われる環境が、過去の裕福な暮らしが。
それら全て捨てられなくて、忘れることもできず、せめて最後に残る「伯爵」に固執している。

笠井の家に嫁いだら、「家」は残せない。
を継いでも、「伯爵」は残らない。

それで・・・破談。

「しかし家には恩があったのでは・・・」
「父親の代にな。お前たちの婚姻もその縁で父親同士が決めたんだ。しかし、その時はこうなるなんて考えていなかった」
「けれど今家は」

何とか道をつなごうと、混乱する頭で考える。

「もちろん、援助を急に無くしたりはしない。佳一とは俺だって幼い頃からの仲だ。けれども、婚約は破棄する。向こうだってわかっているぞ」
「・・・っ」
「それにのお嬢さんには三上元子爵の息子から縁談があるらしいじゃないか。ならば、お前が義理を引きずって結婚する事はない」

義理なんかじゃなくて。
本当にを。
そんなことは言えなくたって。

「けれど、」
「もう口答えは止めなさい、竹巳。決まった事だ。相手はマルサス社の社長だ。波風は立てない方が良い。それから」

彼は途中で言葉を切って、机の中から白い封筒を取り出した。
それを促されるままに竹巳が開けると、中から出てきたのは2枚の書類。
入学許可証と入寮許可証。それから、新橋行きの汽車の切符。

「・・・学校?」
「そうだ。手続きはもうしてある。来週から編入しなさい。さんのことを引きずっていられても困るし、お前ももうエドワーズさんの所だけじゃ足りないだろう」
「それにしてもっ」

――あまりにも急すぎる。
縁談の破棄も。学校も。それに。

――三上先輩が言ったのは。

けれども、お金の力だけはどうにも出来ない。



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2006/12/15