ようやく手に入れられる。
彼女が憶えていないときから知っていたんだ。





の 方





「・・・本当か!?」

電話を受けた三上は、手に持っていた書類を握り締める。
思っていたよりもずっと早く、双方の家は動いてくれた。
あとはもう、阻まれるようなものなど何もない。
彼女自身の意思以外は。

けれども、それはもう問題にはならない。

ならば考えなくてはいけないのはもうその先のこと。
竹巳が東京の学校へ行くという話は意外だったが、それさえも関係はない。

三上は少し考えて、切ったばかりの電話をもう一度手に取った。
多分、一番よく出来る所は。

交換手が変わって数秒の後に相手方に繋がる。

「はい?」
「三上だ。向こうで話を付けてくれ」

無理な注文だろうと、彼なら通る。
その道が、あちこちにあふれていた。








は一人で道を歩いていた。
雨にぬれた髪は重く、雫が滴り落ちている。
水を存分に含んだ着物は肌に貼り付き、体温をどんどん奪っていく。
吹き付ける強い風は、凍えそうに冷たい。

冬ではないのに、寒くて歯の根が合わない。
しかしそれにも気付かないまま、は一人歩き続けた。

行くあてはない。
ただ、今家にいたくない。
そんなこと言ってはいけないと思っているのに。

――雨で頭が冷えれば、少しはまともに考えられる?

けれど、霞む視界は頭の中まで靄をかける。
少しだって晴れてはくれない。


強い雨と風のせいか、人通りは少なく、道を行く人は皆一様に下を向き、傘を強く手に握り締め足を速めていた。
人力はもちろん、馬車さえも通らない大通り。
大通りがその状態なら横道は当然人気などあるはずもなく、はその不可思議な姿を見咎められることもなかった。

意識はしていなくても、足は勝手に記憶された道を進む。
居留地の近くを抜け、数本の路地を通り、開けた土嚢の重なる船着場。

何度も何度も、毎日通いつめた港。
帰らぬ兄を待ち続けた波止場。
色々なことがありすぎて、すっかり足が遠のいてしまった場所。

そこは荒れに荒れていて、船は全て港から引き上げられていた。
当然、船子も商人も誰一人いない。

うねる波は大きく立ち上がり、白い飛沫は土嚢と堤防を越えて当たり前のようにこちらまで飛んでくる。
空の色と海の色は灰色がかった暗い藍色。
それは晴れ渡った青と違って、重く低く溶け合っている。

――兄様が帰ってくる日も、こんな暗い雨の日だった。

まだ夜ではないのに薄暗いせいで、灯台に明かりが揺らいでいる。
あの蝋燭が赤いのなら、これは人魚の呪いだけれど。
きっとこの雨はそんなものじゃなくて、だからみんな居ない。

ふらり、とは堤防に一歩近付いた。
波の音が大きい。
これから、きっともっと酷くなる。

頭がぼうっとする。
足元が揺れている気がする。
空がぐるぐる回っている気がする。

ふらり、と。
はまた一歩近付く。
明るめの糸で織り込まれた菊花の袖が、強い風になびく。
潮の匂いが目に痛くて、目頭が熱くなる。
流れた涙は雨と一緒に頬を伝って地面に落ちた。

どうすればいい。
私は、どうすればいい。
私は一人じゃそれがわからない。
誰もそんなの教えてくれなかったから。


ああ、兄様。
どうして帰ってきて下さらないの?




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2006/12/28