期待するのは無駄だったのかもしれない。
待ち続けるのは馬鹿だったのかもしれない。
ちゃんとそうやって周りからも言われていたのに。

だからこんな事になっていしまう。





の 方





そこは白い世界ではなかった。
目に飛び込んだのは、茶褐色の木の色だった。
すぐそばに窓があって、かすかに色のついた暖かい光がこぼれていた。

心地よい光が差すその場所は、暖色系等の木の色が中心だった。
部屋に備え付けられた調度品は、簡素な見た目ながらも年月が醸し出す重厚さを備え、など比較にならない貫禄でそこに鎮座している。

並べられた小さな置時計と、小さな一輪差し。
揺れる異国のレースのカーテン。

少しずつ覚醒してきた頭で、辺りを見回す。


ふわふわしているみたいに気分が良い。
白い世界の夢を思い出すと、余計に体が軽くなる気がする。

あの白い世界は何だったのか。
とても幸せで、妙に哀しくなる夢だったのは憶えているのに、それ以外のことは何故か霞がかかったように思い出せない。
ただ、抱きしめられた強い腕の感覚だけが体に残る。

「・・・あれは・・・・・・」

起き上がろうと上半身を起こそうとすると、体の上に重さを感じてはそこへ視線をやった。

「竹巳・・・?」

ちょうど日が当たる温かい場所。が居るベッドのすぐ横で、竹巳は突っ伏すようにして眠っていた。
規則正しい、自分のものではない呼吸音。
黒髪がさらりと落ちて、彼の寝顔を隠している。

「竹巳・・・」

起こそうと手を伸ばしかけて、その手を引っ込めた。
いつも疲れている彼を見ていただけに、起こすのが申し訳ない気持ちになる。

もう一度部屋を見渡すと、だんだん頭が働いてくる。
焦げた色のドアに、いぶし色のノブ。レースのカーテン。
小物も花も置かれていない窓辺。
笠井子爵宅の、西洋館の一室。

何故ここにいるのだろうかと、は首を傾げた。
そもそも、もうこの家に入れるような身分ではなくなったはずなのに。
気付けば、来ている服も見覚えのない女物の浴衣だ。

「・・・ごめん、起きた?」
「た、竹巳・・・」

突然の声に我に返って見ると、竹巳が左目をこすりながら起き上がっているところだった。目の下に薄く隈が出来ていて、結局起こしてしまったことをは後悔する。
心配そうな表情を察して、竹巳は少し笑うと「顔洗ってくるから」と部屋を出た。
体にかかっていた重さと温度が消えて、急に寒々しくなった気がする。



ほどなくして部屋に戻ってきた竹巳は、ティータイム用のポットを持っていた。それをベッドの脇の小さなテーブルに置くと、まっすぐベッドまで歩いていって右手を自分の額に、左手をの額に当てた。
低めの温度の手のひらが気持ちよくて、は目を閉じる。

「下がった・・・かな」
「熱あったの?」
「うん、結構高かったんだけど」

顔色も良くなってるし、大丈夫だろうね、と竹巳が微笑みかけた。
それから、思い出したように湯飲みにポットからお湯を入れる。
置いてあった薄い黄色の粉をそこに溶き入れ、彼はに湯飲みを渡した。
顔に近づけると、鼻を突く独特の匂いが立ち上る。

「薬湯。一応飲んでおいた方が良いだろうから」
「うん・・・」
「不味くても。飲むまで見てるからね」

嫌そうな顔をしたを、竹巳がたしなめる。
渋々は薬湯の入った湯のみを口元までもっていった。
一口含んだだけで、苦味や酸味が混ざった何とも言えない味が口の中に広がる。

「うーん・・・」
「『良薬口に苦し』って言うんだから」

空になった湯飲みを渡すと、竹巳がそれをテーブルに戻す。
彼が椅子を引き寄せて座ったのを見て、は口を開いた。

「ねえ、竹巳・・・兄様、いらっしゃらなかった?」

彼の表情が固くなったのを見て、は口をつぐむ。

「いない、よ・・・見たの?」
「ううん、逢ったような気がしただけ・・・。気のせいよね」

竹巳の言葉尻が固くなっているのがわかる。
聞いてはいけないことを聞いてしまったような罪悪感が残る。

「私、何していたの?」
「二日間寝てたよ。渋沢さんが連れてきてくれて・・・港で倒れたって言って。雨に濡れたせいだと思う。・・・うなされたりしてたけど、大丈夫?」

聞いて、の顔色がさっと悪くなる。
では、きっと私は彼を見間違えて。それで帰ってきたと錯覚したのではないだろうか。
失礼な事を口走ってはいないだろうか。

「・・・何かおっしゃってた?」
「お大事に、って」
「そう・・・」

彼はそのようなことを気にしないだろうとは思っても、気になるのは自身。
何かしなかっただろうかと溜息をつく。

「そうだ、三上先輩から伝言預かってる」
「・・・あの人、来たの?」
「うん。・・・もう帰ったけれど」

ほっとして、竹巳に続きをうながす。
竹巳は少し迷った後、少し寂しそうに笑って言った。

「式の日取り、決めたって。決行するらしいよ。おめでとう」

また気が遠くなるような気がした。



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2007/01/19