兄様。
どうか、どうか戻ってきて。
こんな期待を持たせるなら。





の 方





窮屈な生活だ、と思った。
慣れてきたとは言っても、靴もコルセットも気持ち悪くなる。
外出の度に護衛を付けられるのも窮屈なことこの上ない。

監視と小言が頭に痛い。



「・・・笠井の家に行って来て、何してたんだ」

ほら来たと、立ち上がったは溜め息をついた。
帰ってくるなり言われる。の行動は護衛からもう聞いた、ということなのだ。
が外出すればその日の三上は大抵機嫌が悪いのだが、それが今日は一層そう見えるのは気のせいではないと思う。

「竹巳のおばさまに用事よ・・・。この前ご迷惑を掛けたから」
「この前? 随分前だろ」
「そうね」

努めて冷静には答える。
どう答えてもこの場合、三上の機嫌を回復させることは出来ないだろう。

使用人がやって来て、ブランデーと水、グラスを二つ運んできた。
三上は着替えもせずにソファーに腰を深々と下ろすと、ブランデーを開けた。
飴色の壜から、淡い琥珀色の液体が注がれる。

立ち上る甘めの芳香。
ノルマンディーのカルヴァドス。

林檎で作られたブランデーを、三上は滅多に開けない。
ひとくち口に含むと、口腔で更に風味が広がる。

絶えない視線を感じて、は再びソファーに腰掛けた。
膝の上で本を広げても突き刺すような感覚が続き、また顔を上げる。
三上は何も言わずに、の動きを目で追い続ける。

「・・・何?」
「別に」

さすがに薄気味悪くなって尋ねても、三上から帰ってくるのは気の無い返事のみ。
その間にも、三上はまたグラスを空けて飴色の壜を傾けた。
軽やかな音を立てて注がれる琥珀色の飲み物は、その色と裏腹に驚くほど透明で美しい。

「飲みすぎよ」
「んなはずねーよ」

の言葉に三上が鼻で笑った。
そのグラスも一気にあおって更に手を伸ばしたのを見て、は壜を取り上げる。

フランス・ノルマンディー産の、林檎から造られた蒸留酒、カルヴァドス。
ただ高価な酒を飲むのは咎めはしないが、この酒は酒精度が高い。それなのに使用人がグラスと共に運んだ水は一滴たりとも減っていないのだ。

大量にあおるようには出来ていない。
その点で、彼の飲み方は体に良いはずがない。

「・・・返せよ」
「駄目よ。・・・これ以上飲めば、体を壊すわ」
「ふん、この期に及んで心配するのかよ」
「まさか」

自嘲するように三上は笑うが、それに対してはにこりともせずに三上を見つめた。
飴色の壜は小ぶりながらもずっしりと重いが、光に透けて見える酒の残量はそう多くなかった。

「父はあなたの知っている通りだし・・・祖父も最終的にはお酒で死んだわ。それを見ているのに止めないわけにはいかない」
「何言ってんだ? おまえは俺が死んだほうが良いんじゃねーの?」
「・・・それとは話が別よ。目の前で死なれるのは気分が悪いわ」
「わーったよ」

から壜を受け取るとテーブルの上の栓を再び締め、三上は使用人を呼びつけてそれを渡した。無くなった酒の代わりにグラスに水を注ぎ、それを一口飲む。

「これで良いんだろ」
「ええ・・・じゃあ、おやすみなさい」
「待てよ」

くるりときびすを返して部屋へ上がろうとするを、三上が呼び止めた。
は動作をやめて、ゆっくりとまた向きを変える。

「何?」
サン、俺はいつになったらアナタの部屋に入れてもらえるんでしょうね」
「・・・鍵はかかってないわよ」
「鍵?」

馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らす。

「そりゃ、あの部屋は内側から鍵はかからないだろ。そうじゃねーよ、おまえドアの内側に何か置いてるな。じゃなけりゃ開かないはずがない」
「それがどうかして?」
「あのなぁ」

呆れた風に三上が肩をすくめた。
それをもは冷めたような目で見返す。

「おまえがどう思ってようと、俺らは夫婦なんだぜ。それなのに結婚しても別室で寝るのはおかしいだろ」
「だから入りたければ勝手に入ってくれば良いわ。あなたが買った私よ。・・・でも、生憎ね、私はあなたと夫婦だとは思いたくない」
「・・・勝手にしろ」

三上はから顔を背けると、大声で使用人を呼んだ。
それを聞きながらは階段を上がる。
これから外に出るから支度しろだとか、馬車を呼べだとか。

行き先なんて、聞くまでもない。
曙か川崎か、東京へ行くのだったら新富町か、吉原か、深川かもしれない。
芸者と娼館の並ぶ色の街へ。
あてつけのように。

こんなの、いつまで続けていればいいの。



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2007/02/03