いけないとわかっていながらも、勝手に足が動く。 居留地を出て、そのまま日本橋へ。 気晴らしがしたい。 暁 の 方 日本橋の通りを並んで歩く若い男と女が居た。 道行く人はそれを振り返り、目が合いそうになると慌てて逸らす。 子供の手を強く引いたり、うつむいたり。関りあうのを避けようとするかのように。 日本橋の雑踏に紛れても、その二人はよく目立った。 それはおそらく二人の外観のせいなのだろう。 女の方は仕立てのよい、けれど慎ましやかな藤色の着物を纏っていた。 白い肌に黒い髪と淡い紫がよく合う。ひとつひとつの優雅な動作、周りの洗練された空気も更に彼女を引き立てる。 男の方は、女以上に目立つ容貌をしていた。 背はすらりと高く、頭一つ分も大きい。 更に色素の薄い茶色の髪、鳶色に近い瞳。 身に着けているのはまだ普及しきっていない淡い色の開襟のシャツに、黒の上下。 その二人が中睦まじく寄り添うように歩いているのだから、人々が驚くのも無理はなかったのだ。 「・・・お母様、あの人はらしゃめんさんなの?」 「静かにっ」 目の端に映った、こちらを指差す少女の姿。 面白そうに遠くで囃し立てる少年の影。 必死に気付かない振りをする老夫婦。 不憫そうな目で黙って見つめる年配の女性。 共通するのは、異質なものを囲んでいる空気。 「・・・らしゃめんってどういう意味だ?」 「何故?」 「さっきそこで・・・」 どう説明しようか悩んで、は曖昧に微笑んで見せた。 らしゃめん。 平たく言えば、異国人のもとへ嫁いだ女性のこと。 妾か、正妻か、そんなことは外からわからないから関係ない。 ごく普通に使う言葉だけれども、その中には憐憫やら侮蔑やら、およそ嬉しくない感情が幾つも幾つも混ざっていたりする。 「金の為に外国人に体を売って」と。 そう思われても仕方のないような境遇の人たちが多く嫁いで行ったから。 その殆どが男が日本にいる間だけの妾で、帰るときには取り残される。 そして残されて生まれた子供は親の援助を得られぬまま、日本人でないから拾われることもなく浮浪児として吹き溜まりとなるのだ。 「・・・渋沢様が気になさるような言葉ではないわ」 何も気付かない振りをして、はそう言った。 渋沢は一応納得したようなそぶりを見せたが、それでも居心地悪そうにたまに辺りを見回してはに助けを求めるように見返す。 好奇と不信の視線を感じ取ったのだと思う。 横浜の居留地は異国の人は当たり前のように歩いていて。 そこはさながら日本から切り離された異国の地だった。 黒い肌も金色に光る髪も、青い眼もやたら高い背も、聞きなれない言葉も。 全て無条件に許される街は、日本ではそこだけだった。 「ここでは、まだ貴方みたいな人は珍しいのです」 「・・・」 「・・・・居留地とは、違うから」 子供達の囃し立てる声が遠く聞こえる。 雑踏の中で目を合わせては逸らす人が何人も通り過ぎていく。 この前まで、日本橋に連れて行ってくれたのは竹巳だった。 昔、こうやって日本橋を一緒に歩いたのは母親や父親とだった。 昔、更に昔、まだ本当に小さかった頃。 手を繋いで隣を歩いていたのは、幼い。 「・・・兄様・・・・・」 「?」 「いえ、何でも・・・」 は思わず辺りを見回し、知った顔が無いことを確認する。 ――気にする程の、ことではない。 だって私も彼も、やましいことは何一つ無いのだから。 けれどもそう言い切ってしまえるほどに世の中は親切ではないことくらい、公家育ちのでも知っている。 ましてや、渋沢がその好奇の視線から何も感じ取らないはずはない。 それでも。 「・・・急ぎましょう。お芝居が始まってしまいます」 わがままだとはわかっているけれど。 ほんのひととき、夢を見てもいいのだと、誰か言って。 Back Top Next 2007/02/21 |