大きいのに、暗い家。
明かりのついていない部屋。
それがいつも私の帰る場所。





の 方





人力を降りたは、家を見てぎくりと足を止めた。

目の前にそびえる白壁は、夜にあわせて彩度を落とし、真っ黒に近い姿になっている。
仄かに灯る橙色のガス灯は、不安げに淡い光を放って地面をかすかに浮かび上がらせる。

人通りのない道。
揺れる申し訳程度の白い花。
隣の庭の月下美人が強く匂う。

夜としてはごく当たり前の風景。

外から眺めた三上の屋敷には、もう煌々と明かりがついている。
一階、目の前の玄関。隣の大きな窓からカーテン越しに透けて見える明かりはやたらと広いリビングのもの。
二階、濃い色のベルベッドで出来た重いカーテンの隙間から漏れる明かり。あの部屋にこの時間から明かりがつくことは滅多にない。

いぶかしむまでもなく、その事実は一つの可能性を告げている。
そしてその可能性はとてつもなく高いはずだ。


入るのが嫌になる。
けれども、入らなかったところで行く場所なんてない。

は鈍い色の冷たいドアノブに手を掛けた。
玄関扉すぐ外につけられた実にシンプルな形のランプにも明々と火が灯っているが、すぐ中にあるランプは明るくない。
あくまでも漏れているのは、広いリビングの明かり。

ドアノブを握った手が冷たい。
金属はすぐに熱を伝えるから、もう温まっていてもいいはずなのに。
まだ冷たさが手に流れ込んでくる。

首筋を駆け抜ける風が冷たい。
背筋を流れる汗が冷たい。

むせ返るような月下美人の香りも、すでにには届かない。


カチャリ。

固い音を立てて、くすんだ金色のドアノブはくるりと回った。
想像以上の音の大きさに、思わずノブを握り締めたまま体の動きを止める。
息まで殺してうるさい音をたてる胸に手を当て、はほっと息を吐いた。

鍵が開いていたのは救いなのかもしれない。
閉められていれば、どこにも行く当てはないのだから

出来る限りの小さな動きで、そうっとはドアノブを奥へと押した。
まだ造られてからあまり過ぎていないせいか、装飾が施された重厚な扉はきしむ音一つたてずにゆっくりと開いた。
玄関ホールは暗く、その奥の方だけが明るい。

一歩足を踏み出し、細い隙間から体を滑り込ませては玄関へと入った。
それから、後ろ手でゆっくり、とにかくゆっくりと扉を閉める。
パタン、と軽い、その扉の重厚さからはおよそ似つかわしくない音で玄関扉は閉められた。


いつもなら家の誰かが帰ればすぐに迎えに出てくる使用人が、今日に限って誰も出て来ない。
一抹の不安を感じながらも、それに感謝せずにはいられなかった。

草履の裏は固くて、どんなに気を使って歩いていてもわずかな音は抑え切れない。足を踏み下ろす度に板張りの床にカツンと音がたち、その度に視線だけで周りを見渡す。
自分でもどうしてそこまで怯えているのか不思議なくらいだ。

絨毯敷きのリビングでは、二つの大きな椅子と大きな窓、閉められたレースのカーテンが時折外の風で揺れている。
テーブルの上には洋酒の酒瓶が一本。
あまりにも静かだったけれども、そこには確かに彼が居る。

――早く部屋に行ってしまおう。

リビングのすぐ傍まで来ていたは、足を止めてくるりと後ろを向いた。
振り返った先の玄関ホールはリビングから漏れる明かりしか光源がなかったが、とてもじゃないけれどランプを今灯す気にはならない。

玄関の近くまで数歩、また音を出来るだけ立てないように階段まで戻る。
階段を見上げると上はひたすら暗くて、それでもはようやく一息ついたが、リビングから不意にかかった声でまた体をこわばらせた。


「奥さん、随分遅いお帰りで」

心臓が早鐘を打っている。
振り向く必要はないけれど、リビングの方向へ視線を動かすのも避けたかった。
けれども、自分で動かなければ勝手に相手が動いてくる。
一歩も動けずにいると、声の方向から気配は近付いてきた。

そして、ふと気付けばすぐ隣に彼の姿があった。




Back Top Next

2007/03/02