違う。
違うの。

その髪も。
その目も。
その声も全て。

それなのに、どうして。
どうして彼が重なったのだろう。





の 方





青年が言う「家」。
この近辺で、おまけに伯爵家となったらの家以外ない。
結局最初に感じた予感は本物となり、自分の勘のよさを竹巳は呪った。

しかし、彼を相手にしてしまった以上、ここで知らない振りを通す事は出来ない。
成り行き上、このままその青年をの家まで案内する事になった。





雨は、止まない。



「あの、傘を・・・」
「・・・?」

がもう一つ抱えていた傘を差し出した。
言葉は分からなくても、差し出された傘を見て言いたいことは伝わったのだろう。青年は素直に傘を受け取り、それを開く。
もっとも、今まで傘を差していなかったのだからすでにずぶ濡れで、これから差そうが差すまいが関係なさそうではあったが。

青年は軽く頷きながら、に向かって話しかけた。
けれどもは話しかけられただけで不安そうに竹巳を見上げた。

「名前、聞かれてるよ」
「え、・・・あ、

、と彼女は青年を見ながらもう一度ゆっくりと、小さい声で答える。

?」

こくんとが頷くと、青年は嬉しそうに笑った。
逆に、竹巳が彼に尋ねる。

「What's your name?」
「Sorry. I'm Katsuro. Katsuro Shibusawa」
「Katsuro Shibusawa?」

返ってきた答えは、考えていたものと大分違っていた。
どう考えても、英語の響きではない。明らかに日本人の名前だ。

「なんでこんな・・・日本人?」

竹巳が小さくつぶやく。それが聞こえたのかが「どうしたの?」と覗き込んできたが、竹巳は首を振った。
何もよくわからない。

とりあえず不思議そうな顔をする渋沢に家を尋ねる理由を聞いてみたが、答えにならない返事しか返ってこなかった。
彼自身、多分、何故行かなくてはいけないのか良くわかっていない。
ならばもう聞いても無駄だと竹巳は判断し、三人は黙りこくって、ひたすらの家までの道のりを歩いた。






伯爵。
それは、の祖父・佳実に与えられた称号である。
の家は元々公家という家柄で、維新の後には華族となっている。
名門とはいえ、一介の公家。普通は子爵で終わるはずなのだが、すぐに伯爵の地位を陞叙されたのだ。


というのも、祖父の佳実は、なかなかの人物だった。

まず、彼は公家の身分に胡坐をかくことを良しとしなかった。
外国へ渡り、西欧の文化も知識も吸収して帰ってきている。
帰ってきてからは貴族院議員を務め、政治家の養成もしていた。
伯爵に叙されたのは、この佳実の功績が大きい。
国に貢献したと認められたのだろう。


しかし、現当主、つまりの父の佳一は、父親と比べてどうしても劣っていた。
頭は悪くないのだが、要領が悪いのだ。
おまけに、先代の死後まもなく妻も亡くなってしまい、佳一はすっかり気落ちして、人が変わったようになってしまった。
仕事らしい仕事は何もせず、家に居て塞ぎこみ、時々大量の酒をあおる。散々な芸者遊びをする。


そもそも、公家というのは、立派な身分の割には豊かではないことが多い。
価値ある物も土地も持ってはいるけれど、金は無いのだ。
佳実が得た財産はもう残りわずか。
それでも、佳一は伯爵の体裁と地位に固執する。

の家は、大きく傾むこうとしていた。



・・・そんな時に。
そんな時に人なんかやってきて、大丈夫なものか。

家との関係どころか、年齢も国籍も身分も、何もかもが不明の、この彼を。
の家に連れて行くなんて、本当に大丈夫なのか。

が承諾しているのだから、竹巳が悩むことはない。
そう、頭ではわかっている。
わかっているけれど・・・。

この青年を、の家へ行かせたくない。



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2006/06/14