興味だけじゃなかった。
気になっていたから、それだけでもなかった。
だから、急いで戻ってきた。





の 方





通された家の中は、夏なのに体感温度が随分低かった。
奥の大きな窓は開いていて、レースのカーテンが時折揺れる。
ランプの炎が明るい。


一応客である笠井を置いてさっさと座った三上が、口を開いた。

「学校はどうしたんだよ。サボりか」
「まさか。先輩じゃないんですし、そんな事できるわけないじゃないですか。それに今夏ですからね、皆さんご静養で」
「あー、そりゃいい御身分だな」
「まあ、そうですね。先輩もお付き合いで行っておいた方が良かったんじゃないですか。顔効くようになりますよ」
「嫌味か。あんな華族様の学校、俺はやってらんねぇ。じゃあ何で居るんだよ」

「週末だから帰ってきたんです」と答える笠井に、三上は露骨に怪訝そうな顔をして見せた。
東京と横浜、遠いとは言わないがそう簡単に往復していられるほど近い距離でもないと思う。

「暇だな」
「言ったじゃないですか、皆さんご静養で、授業は休講状態ですよ。毎日暇です。それ以上に日曜はやることないんです」
「じゃあ勉強でもしてろ。それで田舎貴族だって馬鹿にされて来い。大体、こっちに帰る方が面倒だろ。こんな時間に来んな。考えろ」
「仕方ないじゃないですか、一応やることやってますから。その後すぐに出たんですよ、これでも。それより三上先輩に時間を考えろと言われるなんて思いませんでした」

何もない状態でやることと言ったら結局勉強しかないはずだ。
結局、九月までに誰かのところへ通っているとか、そういうことになっているのだろう。

「物好きだな。で、何しに来たんだ。こんな時間に来て何も用事ないとか言うなよ」
「それは無理ですね、大した用はないんですよ・・・」
「てめ・・・」
「取り敢えず飲めるようにと持ってきてはいます」

笠井が荷物を解くと、着替えや本の他に飴色の瓶が現れた。
渡された三上はそのラベルを眺めて嫌そうな顔をする。

「キルシュじゃねえか・・・」
「嫌いですか」
「酒の癖に甘いんだよ」
「そう言うと思いました」

なら何で持って来るんだと詰め寄ると、でも飲めるから、と笠井はしれっと答えた。
に、と言うのが全くないわけでもないのかもしれないが、単なる嫌がらせのような気もしてきた。
これで「飲めるように」と言うのだから、怒りさえも萎えてくる。

「飲むのか」
「嫌なら無理しなくていいですよ。ところでグラス有りますか?」

壁際のガラス戸棚を指し示すと、笠井は勝手に立ち上がってそこから二つ、グラスを取り出した。
ブランデーグラスにしないのは、今回香りを楽しんで飲もうとかそういう気が全然ないからなのだろう。

ガラス戸の隣には栓を開けた常温保存の酒が何種類か入っていて、笠井はそこにも目を留める。

「カルヴァドス、ありますね」
「・・・何だよ」
「いや、キルシュは甘くて嫌なのにこっちは飲むのかな、と思いまして」
「一回開けたら無くならねーんだよ」

は、と不思議そうな顔をした後、笠井が小さく笑ってその瓶を取り出した。

「じゃあ俺はこっちにします」
「おい・・・」
「さくらんぼよりは林檎の方が三上先輩も飲めるらしいですし」

取り出された、丸い形の飴色の瓶。ラベルに見える、ノルマンディーの綴り。
確かに三上は甘いものが嫌いだが、これは別なんじゃないかと笠井は思った。
本当に嫌いだったら、わざわざ最高級のカルヴァドスを買うだろうか。
それとも、金の使い方に困っているのだろうか。

三上亮に限って、そんなくだらない使い方はしないだろうけれど。


「どうぞ」

琥珀色の液体が、グラスの中に注がれる。
三上の分と自分の分と、それぞれ入れ終わって笠井は口をつけた。
一口の見込んだところを見計らって、三上は尋ねる。

「で、何しに来たんだ」
「はい?」
「まさか酒飲みに来たんじゃねーだろ」
「最初はそのくらいしか目的なかったんですけどね・・・」

かたんと音がして、グラスが机の上に置かれる。

「呼び鈴押そうと思ったら聞こえたんです」
「は?」
と何か言い合いしてませんでしたか?」
「・・・聞いてたのかよ」

帰りが遅いと、渋沢と歩いていたと。
ついさっきまでの会話の内容を思い出して、三上は苦い顔をする。

「聞こえてたんですよ。人聞き悪いこと言わないで下さい。・・・三上先輩、に何で佳明さんの名前を出すんですか」
「・・・そこまで聞こえるのか?」
「外は静かですから」

室内でもわずかに聞こえる、うるさい虫の音。
これで静かだとはよく言えたものだが、あえて反論はしなかった。
この場合、反論するべきところはそこじゃない。

「わざとですよね、あの言い方」
「それが何だよ」
「何でそんなに憎まれ役になりたがるんだろうと思いましたから」

三上に言い寄ってくる女は山ほど居る。それなのにわざわざを選んで、金に任せるようなやり方で半ば強引に結婚した。
そうまでしたのに、そこで嫌われるようなことを言う必要性なんて皆無に等しい。不器用だとか、そういうものは一切無いのだ。
・・・何となく、予想は出来るけれども。

三上は笠井の質問に鼻で笑うと、グラスの中のブランデーを一気に煽った。

「お前は思わねーの?」
「どう、とですか?」
「忘れられたり無視されるよりは、憎まれたり嫌いだと叫ばれたりした方がずっとマシだってな」

やっぱり、と笠井は心の中で嘆息する。
そんなことしかできないなんて、やっぱりこの人は不器用だ。

「酔ってますね」
「酔わずに言えるか。そんなことだけ言いに来たんなら帰れ」

ソファの横に転がった蒼い瓶と茶色い瓶。
どちらも高い外国製の酒で、どちらも酒精はかなりきつい。

――さっきのとの口論の時は、全然酔っているように聞こえなかったのに。

今更になって酔いが回ってるということは、それだけ自分が信用されているのだと笠井は納得した。

「帰りますよ」

広げていた荷物をまとめなおして、笠井は立ち上がると聞こえないようにため息をついた。
目的は、それは自分が聞いたある噂のことだったのだけれど。
今教えても多分耳に残らない。




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2007/03/25