どうして、来たの。 どうして、いるの。 どうして、ここに。 暁 の 方 「伯爵・・・! ご連絡下さっていたら」 「親が娘に会いに来るのに連絡も何もいるか。おい、はどこだ!」 「お方様は・・・」 使用人は完全に困惑していた。 何もかも急すぎて、頭がついていかない。 縋るような視線を向けられて、は立ち上がった。 体が重くて、動きたくないと主張する足をむりやり動かす。 「さがっていい」と使用人に向かって小さく唇を動かすと、彼女は一礼をして逃げるようにいなくなってしまった。 残るのが嫌だとはいえ、何とも現金な使用人だ。 ――ああ、やっぱり。 目が据わっていて、顔が赤くて。酔っているのが一目でわかる。 「お父様・・・どうなさいましたか」 機嫌を損ねたくはない。 声が震えないように精一杯気を遣ってが尋ねると、佳一は冗談じゃない、というようににつかみかかった。 「おまえは、何をしているんだ!」 「何、とは・・・」 「しらばっくれるな、日本橋を異人と歩いていたんだろ!?」 「え・・・・・・ぅ」 佳一の手が、のブラウスの襟元にのびる。 身長差で倒れこまないようにするのが難しく、不安定な体勢と狭まった首元で息苦しい。 「伯爵の娘が、どういうつもりだ! おまえはの家を笑いものにするつもりか!?」 「違い・・・ます、お父様、違う・・・」 「じゃあ何のつもりだ、だいたい、その異人は誰だ!」 「あ、あの方、は」 ――言って良いものか。 瞬間的にためらう。 言いかけておきながら口を閉ざしてしまったに、佳一は更に詰め寄った。 「何を黙っているんだ、さっさと言え!」 「・・・・っ」 「言わないか!」 「あ・・・あの、しぶさわ・・・・さま、」 「何だと!?」 襟が気道を絞めつける。 いやと言うほどコルセットを締めても、腰紐をきつく巻いたとしても。 多分ここまで苦しくはならない。 「お、おと・・・・さま・・・」 「まだあんな奴と!」 「やめ・・・・っ」 頭が真っ白になって、視界がかすむような気がする。 気が遠くなりかけた頃、微かにガチャンと玄関のドアの開く音が聞こえた。 ふっと首もとの力は弱まり、支えをひとつ失った体はふらりとよろける。 代わりに背中と腕に何かあたって、そのまま体を預けるような格好で支えられた。 酸素が欲しいと体が急いている。 けれどもそれに追いつけなくて、生理的な涙を目に溜めながらは咳き込んだ。 視界は鮮やかになったけれど涙でぼやけ、まだ頭はくらくらする。 「伯爵、落ち着いてください。外まで聞こえますよ」 「ああ、すまない。三上君、だが娘が」 「はい、には言っておきますよ」 「しかし渋沢、と」 「・・・事情は存じております」 三上の言葉に、は驚いたように彼を見上げた。それは佳一も同様で、と同じように驚いた表情を見せている。 「聞いた、のかね?」 「・・・まあ、色々なところから。それより、ご用でしたら何か用意させます」 「いや、それならいいんだ。すまなかった。帰るよ」 「では家まで送って・・・」 「いい。少し気が動転している。・・・一人にさせてくれ」 それなら馬車だけ出しましょう、と三上が使用人を呼びつけ、佳一はその使用人と共に外へ出て行った。 やれやれ、といった様子で定位置のソファへ向かう亮を、は呼び止める。 「待って、何・・・どういうことなの? 事情って・・・」 「あ?」 「事情って何、あなたは何を知っているの?」 「うっせぇな」 亮は胸ポケットから白い封筒を取り出した。 横に長く、家紋が入った上質な和紙の封筒で、裏には流れるような筆跡で署名がしてある。 「招待状・・・?」 「大臣がお前にも来て欲しいらしいから、覚悟しとけ。明後日だ」 「明後日・・・」 「わかったらもう寝ろ」 「待って、亮・・・!」 一度後ろを向いた亮が、面倒臭そうにまた振り向く。 「なんだよ」 「招待状じゃなくて・・・。何故教えてくれないの? お父様の事情なら、あなたより私の方が関係があるはずじゃない」 「だから黙ってろ! そんなこと知ってどうすんだよ!」 「どうするなんて・・・」 そんなの、今わかるわけないのに。 何を隠されているかも知らないのだから。 「俺は疲れてんだよ、そんなこと構ってられっか。お前は口を出すな」 「・・・ごめんなさい」 小さく口にした謝罪に対する返事はない。 Back Top Next 2007/05/19 |