優雅なワルツの音楽。
色とりどりの華やかなドレス。
夜でも明るい多くのランプ。

かつての鹿鳴館の様相はここにあり。





の 方





ガス灯の明かりが灯るころ、広大な公爵家の門前に何台もの馬車が集まっていた。
大きな門を次々と馬車はくぐり抜け、緑の芝生の中に敷かれた小道を走り、正面の玄関の前で停まる。

降りてくるのは盛装に身を包んだ男女。
男の方は大臣の側近や知人に始まり、政府の高官、華族、大会社の代表。名だたる人物ばかりがそろっていた。
そして彼らと連れの女性は、互いに談笑しながら広いホールへ向かっていく。


その人の波がわずかに緩くなってきた頃、三上とも公爵家に到着した。

よく手入れされた庭と重厚な門扉。低木による垣。そして、それと同時に三上の視界に入ったのは着物姿の男たちだった。
どう見てもその着物は普段着で、夜会としては相応しくない。雰囲気も上層の者が纏うそれではない。
宵闇に紛れるように潜む彼らが何なのか、三上は知っている。
彼らが動かないのは、まだ人が多く警備が厚いからだ。

まずい、と三上は心の中で舌打ちした。
来ていることを知って集まっているわけではないと思うけれど、今日のことがある。用心するに越したことはない。

幸い、は気付く様子はなかった。しかしここまで来た手前、挨拶もせずに帰るわけにもいかない。
馬車は小道を駆け抜けていった。



三上の手を取ってが馬車から降りると、黒い上下を着込んだ使用人が馬車の傍まで出迎える。
招待状の確認をすることもなく、二人は玄関の中へと招き入れられた。


暗い色のドレスが、薄闇の中で控えめな印象を残す。
エメラルドで統一された装飾品は、の黒い髪にも白い肌にもよく映え、ランプの光でいっそう輝いていた。

ざわり、と喧騒が動く。
友好的なのもそうでないのも含め、視線が突き刺さるように二人に集中する。

何回もその視線を見ているし感じてもいるけれど、さすがに慣れるものではない。
三上亮でさえそうなのだから、久しぶりに夜会に来たにとって居心地がいいはずがなかった。
顔は微笑んでいるけれど、取った手が確かに緊張している。
笑みと橙のランプの明かりにごまかされそうだが、心なしか顔色もよくない。

「おい」
「・・・平気よ」

前を向いたままが答えた。
三上がそれに対して何か言おうと口を開きかけたが、二人のもとに音もなく近付いてきた人間によってそれは阻まれる。

すぐそばに立ったのは、白が混ざり始めている髪とひげを蓄え、紳士然とした初老の男性だった。
誰なのかは考えるまでもない。
この国の中枢に立ち、政治の中心を担っている人物。
そして、今宵の夜会の主催者。

三上が軽く会釈をしたのに続いて、も優雅にお辞儀をする。
公爵は嬉しそうに、三上に手を差し出した。

「三上子爵、よく来てくれた。こういうものになかなか来なくなってしまったから、御婦人方が嘆いておりますよ」
「ご無沙汰しておりました。最近何かとありましたもので」
「次は何を考えているのかね」
「それは追々と。それから」

三上は一歩後ろに下がっているをちらと見ると、自分の隣に引き寄せた。

「ご存知かと思いますが、こちらが」
「ああ、よく憶えていますよ。もっとも、前に私があった時はまだ子爵夫人ではなく伯爵のご令嬢だったのですがね」

喋りながら公爵はの手を取るとしっかりと握った。
握手と言うには力が強く、は思わずその勢いに後退りしそうになるのをこらえる。

「久しくご無沙汰しておりました。憶えて下さっているようでとても嬉しいですわ、閣下」
「もちろんですよ。後にも先にも一回しかいらっしゃらなかったのが残念だが、あの夜のことは非常に鮮明に記憶しています。しかし鹿鳴館の物言う花は、主が出来てなお褪せず、かえっていっそう美しくなったようですな」
「恐れ入ります」

は口元に笑みを浮かべて答える。


ワルツの曲調が変わった。
リズムは停滞するほど緩やかになり、メロディは滑らかに、そして優雅に歌い上げるものとなっている。
ワルツの三拍子を持ってはいるけれども、これは形式だけの曲。「円舞曲」のワルツではない。
踊ることを除外して作られた、雰囲気作りのための背景音楽。次の曲までの繋ぎのようなもの。

「次の曲は私がお相手してもらってもよろしいかね。始まるまで時間がありそうだから、何なら隣りの部屋にでも行こう。何しろ貴女が来ると聞いたものだから嬉しくなってしまってね・・・」
「あ、あの、閣下・・・」

の腰に手を回し、当然のように寄り添ってくる公爵に、も戸惑いの表情が隠せない。対して、その表情に気付いていないのか公爵はかなり上機嫌だ。
三上は心中で舌打ちすると、の腕を掴んでようやく公爵に声をかけた。

「閣下、申し訳ありませんが、妻は少し体調が悪いようなので」
「体調? 大丈夫なのかね?」
「朝から頭痛を訴えていたのですが、折角の閣下のお誘いを断ることもできず、取り敢えず連れてきたのですが・・・。やはり顔色も優れないので、今宵は帰らせて頂きます」
「しかしまだ一曲も踊っていないのでは」
「はい、大変申し訳ありません。ですが無理をさせたとなれば、閣下ご自身も心苦しいかと」

確かに、自分のために無理をして完全に体調を崩してしまったという話になったら、かなりの負い目を感じる。しかし、ようやく再び会った彼女を今手放したくないのも事実。
公爵はしばらく考えた末、残念そうに言った。

「仕方ない、体は一番大事なものだ。早く帰ってゆっくり休ませなさい」
「すみません、せっかくお招き頂いておきながら」
「いや。またの機会を楽しみにしているよ」

実に残念そうな表情を作ると、一礼して三上はの手首を掴み、そのままホールを出て行った。




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2007/06/16