彼は今日も帰らない。
ここまで酷くなってから、やっと後悔がおしよせるのに。
逢えないなら、どうにもならない。

もう、十日。
彼の姿を見ていない。





の 方





「あ・・・」

封を切って放置されていたままの手紙を見て、は小さく声を上げた。


それは珍しい父親からの手紙で、一週間ほど前に届いていたものだ。
内容は簡潔で、用件のみの手紙だった。

六年前に死んだ母親の七回忌。
それに出席するように、との連絡だ。

執り行われる日付は今日になっている。


始まるのは午後から、まだ間に合う。
大急ぎで喪服を探し出すと、一通り身に付けて部屋を出た。
もう母親が亡くなってから随分経つのに、こうやって命日に黒を着る度、気分が沈む。

「お方様、お弔いでも?」
「ええ・・・。母の年回忌があるの」

下に降りるなり、使用人が紅茶を運んできてに尋ねた。
喪服を着ている上に隠す事でもないから、素直にそう答える。
「雨が降っていますから、お気をつけて」とそれだけ言って使用人は去っていったが、代わりに別の声が彼女のもとへ飛んできた。

「お方様!?」
「・・・何かしら」

紅茶の入ったカップを置いて、が振り向く。
案の定、慌てたようにそこに立っていたのは最近よくいる護衛の彼で。

「お方様、お出かけ・・・ですか?」
「そうよ、見てわかるでしょう?」
「子爵の許可は」
「・・・とってないわ」

目が合わないように視線を戻し、が答えた。

外に出るな、と亮から言われたのはあの夜会の前だった。
その時の勢いに押されて返事をしたけれど、結局その後何か変わったことは起きていない。
おまけに、その日のうちに亮とはまた仲がこじれて、話をするどころか顔さえ合わせていない状態だ。そうなってまで亮の言っていることを守る義理など、にあるとは思えない。

それでも律儀に外出もせずにいるのは、多少の後ろめたさがにあるから。

自分が全部悪いとは言わないし、決してそう思っているわけではない。
けれども、一因が自分にあることは十分わかっている。

どんなに嫌いな相手でも、寄り付かない原因が自分にあるとわかっているなら、嬉しいと言うよりも申し訳ない、といった後悔の感情の方が強く出て来る。

「許可なしで出させるな、と言われています」
「じゃあ、どうしたら良かったのよ! 私は、あの人と顔すら合わせていないよの!? もう十日、十日経つのに。許可なんて取れるわけないわ」

声を荒げたに、彼は押し黙った。

亮を見なくなってから十日。
手紙が来たのは一週間前。

話す話さない以前に、許可をとるなど物理的に不可能だ。

「申し訳ありません・・・。では、今から連絡を・・・」
「何を言っているの? 今から人をやったところで、返事を貰う頃にはもう終わってるわ」
「あ・・・。あ、なら電話を・・・」

彼の提案に、は顔をゆがめた。

電話は嫌い。
相手の顔が見えないなんて、何を考えているかわからなくて気持ちが悪いから。
それに、電話と言うのはかかってきた時に急かされているような気になってしまう。

「電話・・・?」
「あ、はい。こちらなら時間は大丈夫ですから」
「そこまですることじゃないでしょう。年回忌に出るななんて言われる覚えはないわ」
「しかし、子爵に無断では・・・」

どうやら、ここで決着をつけないと彼は家から出してくれる気はないらしい。
は渋々受話器を取って事務所の番号にかけた。

数秒のコール音の後、交換手に繋がって更に数秒待つ。
はい、と向こうで若い男性の声がした。

「あの、三上です。亮・・・社長はいらっしゃいますでしょうか」
『あ、奥様ですね。少々お待ち下さい』

幾度かの雑音の後、聞き慣れた声に代わった。
声の低さから不機嫌であろうことはすぐに読み取れて、気分の悪さには表情をこわばらせる。

「亮・・・?」
『何だよ、こっちは仕事中なんだよ』
「・・・ごめんなさい、あの、母の七回忌が今日あるの・・・行っても」
『勝手にすりゃいいだろ。んなことでいちいち電話なんかしてく・・・・』

最後まで聞かずに、がちゃん、とは電話を切った。

ほら。
だから電話は嫌い。
顔が見えないから、こうなった時になおさらどうしたら良いかわからないんだもの。

「・・・・・・っ」
「お方様・・・?」

言いにくそうに声を掛けてきた彼の方を向くことも出来ず、は前を向いたまま答えた。

「・・・許可、出たわ。これで行ってもいいわね」




Back Top Next

2007/07/18