電話が鳴るのは珍しくない。
だからいつも通りに取って、いつも通りに返事をした。
ただ、ここでいつもと違ったのは。
電話の相手が予想外の人物だったことだ。





の 方





家に帰っていないのだと――そのことは知っている。
そのせいか、ここ最近、その人はいつも不機嫌な顔をするようになっていた。

家に帰らない、そのこと自体は珍しいことではない。
仕事が多ければ夜中に残っていつまでもやる。仕事を家に持ち込みたくないならなおさらのこと。終わらせないと気持ち悪い、というのもあるらしい。

確かに、最近仕事は多かった。
けれどもその量には違和感を覚える。

多すぎる、のだ。
いくらそれを行うのが三上だとしても、尋常じゃない。

「・・・社長」
「ああ?」

使用人が声をかけると、三上は至極不機嫌な声で返した。
返事はしても、視線は手元から動かない。
手には数枚の書類があって、いくつかの書き込みが見える。

「そんな顔してると客が逃げます」
「雨降ってんのに今はいねーだろ、そんなやつ。来たら言え」
「社長」
「だから何だよ」

低い声と共に、これまた不機嫌な表情でもって三上が振り向いた。
目の下にうっすらと隈が出来ている。

尋常じゃない仕事の量は、彼が幾ら調整して減らしても勝手に三上がまた入れてしまう。
ようやく家に帰れる程度の暇を作っても、何かと理由をつけて事務所に留まりこむ。
花街へ行っても何もせず、部屋だけ借りて眠ってしまうのだと誰かから聞いた。

どう考えてもありえないようなことばかり、最近の三上はしている。

「社長、家帰らなくていいんですか?」
「やることあんのに帰れるわけねーだろ」
「やらなくてもいいことまでやってるから、終わらないんですよ。前なら私にやらせてたようなことまで今は社長がやってるじゃないですか」
「仕事が減るのに文句があるのか」

いいえ、と軽く否定して彼はコーヒーのカップを二つ持ってきた。
寝不足の三上によって、コーヒーの消費量が今までよりかなり増えている。
また豆を買ってこないと、と彼はため息をついた。

「・・・さんから、さっき電話がありましたよね」
「それが?」
「いえ、別に・・・喧嘩でもしたのかと思ってたんですけど」

最初は、確かにそう思った。
結婚までの経緯が経緯だっただけに、二人の間でいざこざが起きるのはよくあるようだったから。
そして、そうなった時に三上が家に帰らないでいるのもよくあることだった。

けれども、今回はただの意思の不通にしてはやたら長い気がする。
おまけに、が電話までしてきたのに返答はあの通り。

「あれじゃさんが可哀想ですよ」
「お前が勝手に口出すんじゃね―よ」
「確かにそれは一理ありますが」

夫婦喧嘩は犬も食わない。
だから、本当に喧嘩なら彼が口を出すことではなく、いつも通りに時が解決してくれるのを待てばいい。
待てばいい、はずなのだ、が。

「社長、何が気に入らないんですか」

いつになく不機嫌な調子の人と始終顔を突き合せなければならない、こっちの身にもなって欲しい。
言外に含めたその意味に気付いたのかそうではないのか、三上の返事はなかった。


「そういえば、最近妙に平和ですね」

ガラスが割られることはもちろん、気味の悪い脅迫状まで止んだ。
背後に人の気配を感じることは増えたが、直接手を出されるようなことはない。
何事もないのは良いことだが、返ってこれでは気をそがれてしまったような印象さえ受ける。


――嵐の前の静けさ。


ふと、三上にその言葉が浮かんだ。




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2007/07/30