たまたま、だった。
全くの偶然だった。
それでも後悔した。
もっと早く行動できなかった自分に。





の 方





黒いこうもり傘が二つ、並んで動いている。
色のない街に溶け込む無彩色は、時に揺れ、時にぶつかりながら大通りを進んでいた。

大通りは人が少ない。
それは雨のせいでもあり、ランプが灯ってもなお暗い空のせいでもあり。
時折馬車などが水を跳ね上げながら走っていくが、それも多いわけではない。
普段なら考えられない静かさで、雨が傘に当たる音がうるさく耳につく。

雑音のように絶え間ない雨に混じって、遠く響く海鳴りの音が聞こえる。
人の騒音とも違う潮騒と雨粒の音で、余計な音が聞こえない。


「ねえ、タクー」

藤代が笠井の方を向いて言った。

「雨ぜんっぜん止まなさそうだけど、結局お墓行くの?」
「行かない。もう暗いし。焼香だけしてくる。・・・ところで、何で誠二まだついてきてんだよ。もう方向違うだろ」
「え、せっかく俺も行こうと思ってついてきてんのに!」
「別に遊びに行くわけじゃないし・・・」

遊べるわけがない。
六年前に亡くなったの母親の、七回忌。
婚約者でなくなった以上はもう他人だと言わんばかりに何の連絡も来なかったけれど、それでも忘れられるはずがない命日。
優しくて、とてもいい人だったのに。


「ん、あれ?」

一歩先を歩いていた藤代が止まって、危うくぶつかりそうになり笠井はどうにか足を止めた。しかし勢いは変わらないもので、さしていた洋傘が藤代の傘にあたり、ばらばらと水滴が零れ落ちて袴を濡らした。

「何、誠二」
「・・・あれさ、」

藤代の後ろから右隣にまわり、笠井は彼の指差した方向を見た。

港へ抜ける近道、細い路地。
大通りからその道へつながるちょうど入口あたり、何故だか地面の水溜りが赤っぽく濁っているような気がした。
気のせいかと一度まばたきをしてみたが、赤っぽく見える色は変わらない。

「なんだろ」
「・・・錆」
「え!?」
「まさか。犬か猫かが馬車にでも轢かれて死んでたんだと思うけど」
「でも死体ないじゃん」
「回収されたとか・・・あのさ、そんなに気になるんだったら立ち止まってないで見に行けば。どうせあの前通るから」

本当に考えていなかったのか、そうだった、と納得したようにうなずくと走り出した藤代を、笠井は追いかけた。


ぱしゃぱしゃと水を蹴って数十メートル、路地を覗き込んでから入っていった藤代は、「うわっ」と声を上げた。それに遅れること数瞬、笠井も路地を曲がって息を呑む。

細い路地は港へ繋がる近道。
けれども今日の空は灰色、降ってくるのは銀色の雨。路地にはガス灯も灯らない。
大通りでさえめっきり減った人影が小さな路地にあるはずもなく、人どころか動くものの気配すらない。

そんなところに、黒い影がひとつ。
彼はほとんど倒れているような状態で塀に体を預け、地面に座り込んでいた。
仕立ての良いであろう黒い洋服は乾いてるところなど存在しないほどに濡れ、所々土がついて薄汚れている。
更に気付く、あまり目立たないが黒に沈んだ別の黒色。そして、鈍くきらめく銀色。ただごとではない状況。

見覚えのあるようなその人物に近付いて半分傘を差し出すと、様子を見ようと屈む。
彼は首から上を動かして二人を見上げると、目を見開いた。
その顔と表情に、笠井ははたと気付く。

「もしかして、三上先輩のところの・・・」

え、と聞き返す藤代を尻目に、彼は目だけをゆっくり動かした。
そのわかりにくい動きに、笠井は肯定の返事を読み取る。

「一体何が」
「お・・・お方・・・様、が・・・」
「・・・?」

聞き返すと、また同じ動作が繰り返される。

「先ほど・・・男が、お方様をつれ、て・・・倉庫の方・・・へ・・・早く、行って・・・」
「え・・・?」
「じゃあ、それは」

言葉を失った笠井に代わって、藤代が尋ね返す。
視線で示された鈍く輝く小刀に目を落として、目の前で彼は疲れ切った笑みを作った。

「その時、に」
「どのくらい前?」
「二じか、ん・・・くらい、でしょうか・・・早く・・・お願いします・・・」
「でも、傷は」
「大丈夫、です、だから・・・」

お方様を、と彼が続けたのを聞いて、傘を置くと藤代は腰を上げた。

「タク、行こう」
「え、」
「倉庫街。早く」

言うなり駆け出した藤代の後を竹巳も走り出した。




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2008/03/06