雨のせいで辺りは相当に暗くなっており、今は何時ごろなのかはうまくわからなかった。
けれども、当初の予定よりかなり遅くなってしまったことはわかっていた。

目の前には、笠井伯の屋敷がそびえるように建っていた。
まさか、彼女がまたここに来ることがあろうとは。





の 方





外から馬車の扉が開けられると、誠二が護衛の青年を支えてゆっくりと馬車を降りる。それに続いて竹巳もを抱え、出来る限り揺らさないようにと静かに馬車を下りた。

窓越しに部屋の明かりがもれている。
白い壁の立派なこの建物は、一見すると最近目立ち始めた洋風建築だが、実は少し違う。正面から見た玄関を始め母屋は洋風だが、それ以外は和風の折衷建築だ。
その装飾の施された玄関の扉は、竹巳が何も言わなくとも内側から開いた。

「お帰りなさいませ・・・竹巳様!? それに・・・」

玄関先で出迎えた使用人が、悲鳴混じりに声を上げて竹巳とを、そしてまだ扉の外にいる誠二を見比べた。
その反応に竹巳は顔をしかめ、舌打ちしそうになるのをこらえる。

彼女の反応は決して大げさなものではない。むしろ、当然とも言えるようなものである。
竹巳は上から下までずぶぬれで、その腕の中に抱えられているも同様だ。そして、それは外で傘を差しかけられている誠二と、護衛の青年すら例外ではない。

さらに、問題はまだ存在していた。

は竹巳と幼少の頃から婚約していたが、それを破棄して他の家に嫁いでいる。そしてその相手は三上亮だ。
今や、政界にも財界にも影響力を持ち、社交界でその名を知らない者はないというほどの人間。
彼は仮にも伯爵である笠井家と家の婚約を、半ば強引に外から動かすことが可能だったのだ。

そしてその結果笠井家からの縁も消えたが、濡れ鼠の状態で竹巳に抱かれている。
これを見ながら何事もなかったかのように対応するなど、要求するのは無茶な話である。


竹巳がもう一歩家の中に入って誠二たちも中に入れる。
ぱたん、と小さく音を立てて玄関が閉まり、雨の音が急に小さくなった。

「ど、どうなさったのですか? どうしてこのような・・・」

使用人はただおろおろとしている。
何度も何度も繰り返しと竹巳を見比べ、そして誠二たちの方へ視線をやり、また竹巳を見上げては戸惑う。

そうしているうちに、一人、また一人と笠井家で雇っている使用人が集まってきた。
皆一様に、竹巳たちを見るなり、小さな悲鳴を上げて動揺の色を見せる。

「わかると思うけど」

竹巳は口を開き、声を張り上げた。

「急いで部屋を用意して。とりあえず二つ。それから医者を・・・あと母さんを呼んできて。それと」

少し声を低くして、竹巳は続ける。

「このことはとにかく他言無用。じゃあ急いで」

竹巳が言い終わると同時に、ぱっと使用人たちは動き出した。
屋敷の中に使用人の足音がぱたぱたと響く。ある一人が大きめのタオルを竹巳たちの体にかけていく。またある一人は玄関を飛び出して、雨の中馬車を出していった。


そして竹巳が使用人たちに指示を出してから数分と経たずに、竹巳の母親が階段から降りてきた。
彼女も使用人らと同様、玄関に立つ四人の姿を見て口元を押さえ、動きを止めたが、すぐ足早に近づいてきた。

「とりあえず、ちゃんを部屋に運びましょう。そちらの方も・・・彼はすぐそこの休憩室の方が今はいいかしら。もう部屋の用意はさせているわよね?」

母親の問いに、竹巳は短く肯定の返事をする。
彼女は次にそばにいた使用人に向かって指示を出した。

「それならあとは着替えを出して差し上げて。ちゃんには私の着物でいいわ。それからお湯と、手ぬぐいをいくつか用意して、部屋まで持ってきてくださる?」

言われた使用人の女は「はい」と返事をすると同時にぺこりと頭を下げ、屋敷に奥へと小走りに向かっていった。
笠井の母親は藤代に休憩室を示す。意識もすでに途切れがちの青年を支えながら、藤代はその部屋へゆっくり進んでいった。

ちゃんは上ね」

そういって彼女は笠井の先に立って階段を上ろうとする。その背中に竹巳は母さん、と呼びかけた。

「何かしら?」

彼女は立ち止まって振り向く。

「すぐわかると思うけど・・・の状態とか何が起きたのかとか・・・詮索しないでやって」
「わかっているわよ。だから、お手伝いさんじゃなくて私を呼んだんでしょう?」

そう返事をして再び階段を彼女は上がり始める。
竹巳はそっとを抱えなおして、その後に続いた。




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2008/08/12