縁。
運命。
必然。

そんなものばかりで溢れていたら
何に希望を持てばいい?





の 方





憂鬱になる。
この、異国の客人に。
どうしようもなく。

理由も原因もわかっている。
どうしようもない。
今はまだ、何かをする時ではない。



その客人を連れて、着いた場所は居留地の2番街。ここは、この付近ではまだ比較的、治安の良い所だ。
迷うことなく、エドワーズ塾へ。そして、そこで初めて渡された地図を取り出す。

2番街224A。エドワーズ塾の、二件となり。
淡い色の煉瓦で建てられた、小さな家。

「224A・・・」

竹巳が指で番地が書かれたプレートを指差すと、渋沢が多分、というような目で頷いた。

こういう時、表札がないのが不便だ。
習慣と警備上の問題と。事情は色々あるらしいが、郷に入れば郷に従えって言葉もあるのに。


彼が近づいて、銀色の小さなベルを鳴らした。この喧騒で聞こえるのか疑わしいほどに、ささやかに鳴る。
家の住人は聞こえてたようで、聞くからに鬱陶しそうな声が返ってきた。

「Who is it?」
「I'm Katsuro Shibusawa」
「Oh! Just moment, please」

それから大声で何か叫ぶと、扉の向こうでドタドタと騒々しい音がしてくる。
うるさい足音は段々近くなり、バタンと大きな音をたてて目の前の扉は開かれた。

扉からは、初老の男が荒く呼吸をしながらまくし立てる。
彼の言葉は早口でなまりが強く、竹巳は中身のすべてを理解することを諦めた。
けれども、そうやって考えることを放棄したつもりになると今度は何故か単語が次々と耳に飛び込んでくる。
結局、竹巳は渋沢が彼らに向かって自分を紹介したのだと、そこまでを理解した。

渋沢が竹巳を紹介すると、目の前の男性はそれは嬉しそうに、彼の手を取ってぶんぶんと振った。
竹巳としてはあまりに速い展開で何が何だか、頭がついていかない。
目をしばたかせて小さなため息をつくと、渋沢が見かねたのか助け舟を出した。

「Mister, he seems troubled」
「Ah, I'm sorry.」

謝りながらも、その男は快活に笑った。
俺よりもはるかに背は高く、元は白かったであろう肌も日に焼けている。
何もかもが豪快な人間だ。

手が離れて竹巳がほっとしたのもつかの間、また彼は早口にしゃべりだした。
あっけに取られつつも聞き取った言葉に、竹巳は慌てて首を横に振る。
社交辞令ならいいけれど、表情を見る限り彼らは本気だ。親切心なのかもしれないけれど、今の竹巳には迷惑なだけだった。
英語だらけのところで、知らない人とこんな奴と共に居るのはごめんだと、そう思ったのに引き止められる。

早く帰りたいのに。
早く帰って、そう、に。
彼女に会わなければ、余計な心配をさせるだけだから。

疲れで引きつりかけた笑顔を浮かべながら、どうにか急いでいることを伝えた。
それに対して本当に気落ちしたように残念がるものだから、かえってこちらの方が罪悪感を持ってしまう。
別にどちらが悪いというわけでもないはずなのに。

「Please come again sometime」

その言葉に、口では返さず、軽くお辞儀をして答えた。
お辞儀という習慣はなかったような気もするけど、一応伝わっただろう。

「See you!」
「See you」

向こうに悪意はない。
だから、投げやりながらも今度は返事をした。
やってられない。


早く帰ろう。
今日の役目は終わった。
早く帰ろう。

のためにやったこと。
その先なんか、彼なんかもう知ったことじゃない。


早く、帰ろう。




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2006/08/12