「誠二、まだ!?」
「もーわかってるってば、タク! 急かされても速くなんないし」
「これは面倒だから手をつけとけって言っただろ」
「だって文字ばっかじゃないか!」
「知らない。誠二、本当に遅れるよ!」





の 方





走る。走る。人を掻き分け、居留地へ、二人は走る。

「遅刻したら誠二のせいだから」
「でもエドワーズさん優しいから平気じゃん?」
「そういう問題じゃない!」

出された宿題を誠二は終わらせられなくて、結局彼は竹巳を頼った。
しかも、写す手がしょっちゅう止まるものだから、結果遅刻ギリギリに笠井家を飛び出す事になる。
こうして、二人はレンガの街を駆け抜ける。


「そういえばさー、タク聞いた?」
「は、何を?」

全力疾走に近い速さで走りながら、誠二は言葉を発した。竹巳の方はそれに構ってる余裕なんて本当は無いのだけれど、仕方ないから短く返事をする。

「エドワーズさん帰るんだって、いぎりすに」
「え?」

その言葉に気をとられて、竹巳は躓きそうになったのを回避する。
危ない。

「なに、それ」
「なんか俺聞いちゃった。結構急な話だったよ、今日とか明日とか明後日とか。でも友達の人が来て、塾は続くんだって」
「ふーん・・・」

人当たりのいい誠二のことだから、どっかで誰かから聞いたのだろう。
情報源に触れるようなことは、竹巳はしない。





走り続けて、ようやく塾の前。
廊下の先には、今にも戸を開けようとするエドワーズ。

「うわ、待って・・・じゃなくて、Stop, ストーップ!」

誠二の叫び声に振り向いたエドワーズの顔が軽く引きつる。年若い少年二人が、全速力で狭い廊下をこちらに向かって駆けて来るのだ。
彼は表情を強張らせたまま、ドアを開けた状態で待っていた。
すぐさま二人は教室の中に滑り込む。これで遅刻回避。

「はー、セーフ! 先生どうも! だから平気っつっただろ、タク」
「へ、平気じゃない・・・」

少し息が上がっただけの誠二に比べ、竹巳は肩で呼吸をしている。
誠二の方が背が高くて体力もあるし、足が速い。疲労に差が出るのは当然のこと。
エドワーズはその二人のやり取りを笑いながら見る。

「Sit down in your seat, Seiji and Takumi. 次は遅れないように。連絡がありますよ」
「はーい。ん? この人誰っすか?」
「え?」

誠二の声に竹巳も顔を上げる。そして誠二が指した方を見ると、二つの人影。そこに立っていたのは。

「あ、あの人たち何で・・・?」
「? Oh, you are...」

視線が合って、向こうは彼が竹巳であることに気付く。一人は嬉しそうに近づいてくると、やはり竹巳の手を取ってぶんぶんと上下に振った。

「I'm glad to be able to meet in such a place!」
「はぁ・・・」
「Takumi. Jeffと会ってたのかい?」
「なにー、タク知り合いなの?」
「まぁ・・・」

適当に竹巳は言葉を濁す。
会ったのはこの前渋沢を送り届けた一度だけ。知り合いというほどの知り合いではない、はずだけれど。
関り合いになると面倒そうだから、あの時さっさと逃げたのに、何でこんな所にまた居るんだ。
その人も、何よりその後ろの彼も。

「タクー? もしもーし?」
「ん? ああ・・・。誠二、席行こう。また言われるよ」

誠二が目の前でぶんぶん手を振ったので、竹巳は我に返る。小さな机が並んだ、その隙間をぬっていつもの席へ。
そこから前を見ると、会いたくなかった二人が良く見える。


「This is Jeffrey Chamberlain」

竹巳の心中に何も関係なく、エドワーズはチェンバレンを紹介した。
名前以外は朝、走りながら誠二が言った通り。日本を去るエドワーズの代わりに、塾で教える、エドワーズの友人。
それで今日紹介した、それだけ。

でも。
竹巳の動揺は彼だけではない。
いや、言ってしまえばチェンバレンはそれほど問題ではない。
気になるのは、彼の後ろに居る、彼。茶色の髪と、鳶色の瞳の。

「And, this is Katsuro Shibsawa. He studies here from today」
「なっ・・・」

エドワーズの言葉に、竹巳の口から思わず声が漏れる。多分他には誰にも聞かれなかったであろうその声を耳聡く聞きつけて、誠二は隣に座る竹巳を見た。竹巳の視線は、睨むように前の渋沢で止まっている。

「タクー」
「・・・何?」

声を潜めて呼んでみたら、以外にも反応は返ってきた。

「タク、あの人知ってんの?」
「何で」
「いや、何か色々ありそうだったし、今も見てたし」
「別に」

なんでもない、と竹巳は続けた。
本当にあいつが何でもないなら、どんなに良かったことか。



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2006/09/13