屋敷の裏庭には、小さな離れがあった。 決して近付いてはいけないと言われた、小さな離れが。 子供心に、それはとても気になっていた。 毒娘 乳母の目、家来の目、玲の目。 それら全てを掻い潜って、翼は部屋を抜け出した。 大きな椎名の屋敷。 人に見られることを意識し、こまめに整えられた表庭。それとは対称的に、裏庭は雑多に草木が生えている。 その更に奥、誰も目を向けないような場所に、ひっそりと、その庵は建っていた。 かやぶきの屋根。 窓は高いところにひとつ。小さい上に、目の粗い格子がはまっている。 景色を楽しむにしては異質な庵。 障子の広い窓など、存在しない。 翼は、庵の周りをぐるりと歩き始めた。 特に何かあるわけでもない。 表の庭には客が来た時用の茶室として、こじんまりとした草庵がある。この庵も、そこと大して違うようには見えない。 ただ違うのは、この庵はとても小さくて、窓も戸も小さいということ。 情緒を好むには、あまりにも寂れた所に建っていること。 けれども、それがわかるほどに翼はまだ大きくはなかった。 建物の裏で、彼は窓を見上げた。 黒い格子。白い障子。中は見えそうにない。 手を掛けてみようとしたが、窓の位置はかなり高かった。そこに幼い彼が手を伸ばしても届くはずがなく、指先は空を切る。 他に中が見られる場所は、中に入れる場所はと探して、庵の表に回った翼は、そこで足を止めた。 何かを拒絶するように固く閉ざされた引き戸がある。 翼は周りを見回して、恐る恐る戸に手を掛けて、その戸に錠が掛けられているのを見た。 錠なんて、蔵とお寺でしか見たことがない。 それなのに、ここには小さな庵には不自然なほどに大きくて重苦しい錠が掛けられていた。 戸に掛けた手に力が入る。 錠が下りていても、少しくらいなら開くかもしれない。中を覗ける隙間くらいは出来るかもしれない。 けれども、少しがたがた揺らしたくらいでは、その戸は音を立てただけで開いてはくれなかった。 予想以上に大きな音を立てた戸に驚き、慌てて辺りをまた見回す。 人はいない。 小さな胸をなでおろして、すぐに翼はぎょっとしてその場に凍りついた。 たまたま下ろした視線の先。 横たわった、黒と茶の模様の三毛猫。 見覚えのある青い飾り紐が目に入る。 あれは、玲が飼っていた。 それなのにこの前から姿を見せなくなって、玲に聞いても知らないと言われて。 それが、ここにいる。 翼も可愛がっていた。 それでも、彼はその猫に近づけなかった。 何故か、直感が告げる。 あのねこはしんでいる。 ちかづいてはいけない。 ぴくりとも動かない猫は、眠っているようにも見える。 意を決して近付いた翼は、その猫に触れて愕然とした。 冷たい体。 閉じたままの目。 ちがう。 これは、ぼくのしってるあのねこじゃない。 「うわ・・・」 無意識のうちに声が出ていた。 伸ばした手を引っ込めて、小さく一歩後ずさる。 がたん。 「わっ」 触ってもいない戸が音を立て、翼は反射的に声を上げて戸を見た。 さっきと変わらないその戸は、小さいくせに威圧感を増してそこにある。 じっと声を、息を殺して翼はその戸を見つめた。 冷や汗がじわりとにじんでくる。 「だれが・・・いるの? あきらさま?」 知る人さえ少ない庵から、幼い声が聞こえた。 2006/12/23 |