なんでここに君がいるの?
ここは子どもは近づいちゃいけないんだよ。





毒娘





聞こえた声に、翼の警戒心は幾分か和らいだ。
声は幼い。多分、自分と同じくらい。

「だれ・・・? いないの?」

その声が、もう一度繰り返す。
向こうも、声に不安が混じっている。

「いるよ」
「だれ? あきらさまじゃないのね」

返事をすれば、ちゃんとそれに返ってきた。
その時点で、翼は警戒心を殆ど解いていた。
今彼にあるのは、庵とその声の持ち主・・・中にいるであろう子供に対する好奇心。


「君だれ? この庵にいるの?」
「うん」
「どうやって入ったの?」
「しらないわ」

幼い声は答える。

「あなたは何でここにいるの? あきらさまに言われたの?」
「違うよ。あきらさまって玲のこと?」
「西園寺玲様よ」

それは、翼のはとこで。
今飛葉のほぼ全権を握っていると言っても過言ではない彼女の事だ。

飛葉の当主である翼がまだ十に満たない幼い子供であるため、彼女が飛葉の国を動かしている。
男とも対等に張り合える武道の腕と、政治的手腕で取り仕切ってきたのだ。

「玲、が・・・」

考えながら、翼は庵を廻る。
入れるところ、中が見られるところがあれば知りたい。

そして彼が裏に廻ると、そこには表の入口と同様、縁側のようなものがせり出ていた。
その地面からいくらか高くなっているところに、小さな木製の引き戸がある。
窓にしても出入り口としても小さく、第一窓なら引き戸にはしない。
そこを入口とするにしても、大人が通るのはかなり難しい狭さだ。

そして更に不思議なのは、その戸には外側からつっかえがはまっていたことだった。


戸が開かないようにするためにつっかえ棒を張るのは、特に珍しいことではない。
錠というものがそうそう付けられたものではないため、屋敷の敷地に入る門、それに蔵以外は錠がついていない。あまり泥棒というものは存在しないが、それでも用心として代わりにこういうもので賊の侵入を防ぐ。

だから、つっかえ棒は内側から張らなければ意味が無い。
そのくらいは幾ら幼くとも、翼だってわかっている。

外にあるのでは、外から簡単に開けられてしまう。


翼は逡巡したあと、その棒を外して木製の戸を引いた。
扉は何度も使われているらしく、すべりは悪くなくてすんなりと開く。

開けた先には四畳ほどの小さな畳敷きの部屋。
そして驚いた顔でこちらを見ていた少女がいた。

「あなた・・・」

声を聞いて、確認する。
庵の中から聞こえてきていた幼い声は、間違いなく彼女のもの。

年は翼より二つか三つほど下に見える。
小さくとも顔かたちは整っていて、肌は透けるように白い。
そしてどこか非日常の、不可思議な雰囲気を纏っていた。

「さっきまで外にいた?」
「うん。上がるよ」
「そこから?」

止めもしないので、翼は小さなその戸の敷居に足を掛けた。
戸の先は台になっていて、書きもの用なのか隅に半紙と硯が置かれているのが見える。

戸は狭いが子供にそんなことは関係なく、翼は何の苦も無しに庵の中へ入り込んだ。
日の光を入れてないような湿っぽく薄暗い部屋。そこに何となく漂う、嗅いだことのない芳香。
屋敷にあるどの部屋より狭いが、調度は殆ど何も置かれていない。
せっかくの飾り棚も、置いてあるのは異国の壷や花器などではなく、黒い燭台だった。ただ、その燭台に載っているはずの蝋燭はない。

行灯も置いてあったがやはり火はなくて、明かりは壁の高い位置にある障子窓からの外の光だけだった。


「・・・ここ、人を入れてはいけないと言われているの」
「大丈夫、見つからないようにするから。ところで、きみ名前は?」

少女の心配をよそに、翼は好奇心を抑えきれずそう聞き返す。
しかし、返ってきたのは名前ではなく彼女の不思議そうな声だった。

「なまえ? 私の?」
「そう。ぼくは翼って言うんだけど」
「つばさ? ・・・当主のつばささま?」
「うん。だけど玲にはぼくが来たこと言わないでよ。で、きみは?」
「私は・・・」

少女が黙り込む。
それは別に考えてるのでもなく、自分の名前を知らないようだった。

「知らないの?」
「・・・おぼえてないの。必要なかったし」

名前のない少女は、当たり前そうに言った。


「・・・じゃあ、ぼくが考えてあげる。、は?」
?」
「うん。嫌?」

少女がゆっくりと口の中でその名前を呟く。
それからにっこりと微笑んだ。

「ううん、嫌じゃないわ」



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2006/12/27