連れていくにあたっての命は二つ。 ひとつ、ある程度近づいたら娘を置いて戻ってくること。 ひとつ、娘を馬に乗せないこと。 毒娘 森の中へ入ってしまうと、昼間でも晴れでも陰気に薄暗い。それが、もともと薄暗い曇り空なら尚更のことだ。 その影の多い森の中を、まだ若い男と女が二人で歩いていた。 若い男女というより、少年と少女と言っても良いかもしれない。その二人が狭い道を一定の速さでゆっくりと進んでいる。 少年の方は栗毛の馬に乗り、少女の方は整備されていない土の道を歩いている。もう相当な距離を歩いているらしく、少女の顔には疲れが見え隠れしていた。 「おい」 「・・・はい、何でしょうか・・・・・」 頭上から降ってきた声に、少女は顔を上げた。 薄暗がりのなか、少女の顔色は悪く見える。 「大丈夫か? 疲れてそうだけど」 「いえ・・・大丈夫です」 首を振って少女は答えた。 しかし、そうは言っていてもやはり不安になる力のなさだ。 飛葉の本陣を起ってからもう一刻はとうに過ぎている。大の大人でもそろそろ疲れてくる時間帯だろう。 それなのに少女は何も言わず、水も取らずに黙々とただ歩を進めていた。 地図を広げて確認するまで、正直、柾輝はこんなにも向かいの丘に行くのに時間がかかるとは思っていなかった。 しかし玲に指示された道は戦場の荒れ地をぐるりと大きく迂回し、山の中を通り抜け、予想していたよりもはるかに辛い道のりとなっている。 きちんと着た着物は決して動くためのものではない。 小綺麗で少し凝った品の良い着物は、武家の娘でも毎日着るものではないだろう。どちらかといえばよそ行きの部類である。 そして、一介の村娘はこんなものを着ていられない。 詰まる所、一目で相応の身分と知れる着物だった。 その臙脂の着物を所々土に汚しながら、足場の悪い道を進んでいる。 横を歩く少女の足取りが重くなったのに気付いて、柾輝は馬上から彼女を見下ろした。 足元はふらつき、息も絶え絶えで顔色は一層青くなっている。 彼は馬を止め、そこから降りた。 「おい、乗れよ」 「いえ・・・大丈夫です」 「大丈夫なわけあるかよ。翼は乗せるなっつったけど、これじゃ着く前に倒れるぜ」 「いえ、本当に・・・」 言いかけて少女の足元がふらりとぐらつく。 それを抱き留めると、顔を上げた少女か信じられないような力でその腕を振り払った。 そのまましゃがみこむと青い顔で肩で息をしながら、懐の匂袋を取り出す。 錦で作られた緋色の匂袋は、少女が纏う甘い香り。それを胸に抱いて、しゃがみこんだまま彼女は苦しそうに大きく呼吸を繰り返す。 はっきりと拒絶の態度を示されて、柾輝はそこにつっ立って見ていることしか出来ない。 数分の後に、少女は匂袋をまた懐にしまって立ち上がった。 疲れ切った表情は変わらないが、顔色は幾分か良くなっているような気がした。 「申し訳ございません・・・お時間取らせた上に、あの、手を・・・」 「別に構わねーけど。ほら、乗れよ」 「いえ・・・それは出来ません」 相変わらず少女は辞退の言葉を繰り返し、仕方なく柾輝はまた馬にまたがった。 辺りは段々灰がかった紫色に沈み、日が完全に落ちてしまうまでそう遠くない。 「おい、やっぱどうしても乗らないってんなら休め」 「でも時間が・・・」 「少しぐらい遅れたって大したことねーよ。翼だってそんな杜撰な計画たてねーだろ」 それでも少女は不安そうな表情を崩さずにいた。何しろ、空はもう藍色に近いのだ。 「わかった。じゃあもう少しゆっくり歩こうぜ。これならいいだろ」 「はい・・・」 柾輝は馬から簡単に飛び降り、手綱を握った。馬と並んで歩きだすと、少女もこれについてくる。 「・・・なぁ。何しに行くんだ?」 ――そんなに必死になってまで。 疑問に思っていたことを尋ねると、彼女は哀しそうな顔で首を傾げた。 「御当主様か玲様から・・・何か聞きましたか?」 「何も」 「なら・・・やっぱりお教えすることは出来ません」 静かに言った少女がうつむく。 これ以上追求する気にもならず、柾輝は黙って前を向いた。 「敵の本陣、見えたけど」 少女が小さくうなずき、柾輝にむかって深々と頭を下げる。 ここまでで良いという合図だ。 「何するか知らねーけど・・・頑張れよ」 「・・・ありがとうございます」 くるりと向きを変え、少女は本陣へむかって歩きだす。 やがて柾輝の姿が完全に見えなくなったのを確認すると、少女は前を見据えて走りだした。 2007/02/09 |