黒い空に白い真円の月。 せめてあの月が彼女の慰めになりますよう。 毒娘 柾輝が飛葉の本陣まで帰ってきたのは満月が大分高くなった頃だった。 いつ戻ってくるのかと気を揉んでいた翼はその姿を見つけると、ほっと安堵の息をつくとともに大声を上げる。 「遅い! どんだけかかってんだよ」 「わりぃ。思ったより遠回りになっちまったんだよ」 見るからにイライラする翼など気にもとめない様子で柾輝は答えた。 翼は小さく舌打ちをすると大きく広げた地図の前に座る。 柾輝も近づいて、地図を挟んで翼の右斜め前に座った。 広げられたのは飛葉を中心として隣国四つまでか描かれたもので、細かい地形までもが載っている。 朱墨で引かれた奇妙な曲がり方をした線は、柾輝が少女を連れて通った山道だ。 その他にも点在する黒や朱の墨で描かれた印は、今までにも幾度となくあった戦の際に付けられたものだろう。 地図に示された国境は今と大分違っていて、飛葉の領土もかなり狭く描かれている。 「いつ頃あっちに到着した」 「日が沈んで一刻過ぎたくらいに別れたから、あいつが着いたのはその半刻くらい後だと思うぜ」 「ふーん。思ったよりかかったね。まあかえって時間としては丁度良いけど。じゃあここから向こうまでは馬だと一刻かかるかどうかってところか・・・夜だし」 後半はほとんど独り言で、翼は地図を前にぶつぶつと呟きながら考えている。 手元の書簡と地図を何回も見比べた後、彼は顔を上げた。 「次だけど・・・五助かナオキにでも伝えろ。そっちに指揮とってもらうから。月が南中したら、使える方から兵を集めるように召集かけて。百くらい居れば十分。準備が整いしだい、あの丘に向かってその兵たちは進軍。残りはその後。半刻したら発つ。見つからないように気を付けろよ」 「わかったけど、百で何やるつもりだ?」 「敵の本陣を落とす」 当たり前のように翼が答える。 「うちは今連れてきてる兵が少ないんだから、こういう方法じゃないと勝ちにくいんだよ」 「夜闇に紛れてってか?」 「そ」 地図を指差しながら翼は続ける。 「戦に勝つにはどうするか? 一番簡単なのは大将の首をとってそれを下っぱのやつらにも知らしめればいい」 頭を失えばもう統率するのは難しい。兵の士気も下がり、軍としては崩壊する。 ましてや、今回は大将に国の当主が直々に就いているのだ。期待できる効果は計り知れない。 ――敵を討たば、まず頭を討て。 戦術の基本中の基本だ。 「よって、外のことは兵に任せて俺は大将を直接討ちに行く。多い兵は囮。マサキも準備しとけよ」 「へいへい」 そのための精鋭か、と柾輝は納得した。 千を越える兵は敵の兵と通常どおりの戦をする。けれどもそれはただの時間稼ぎ。かき回せればかき回せるほど良い。 選ばれた百の兵は、本陣の中に入り込む。中を護る者、何十人といる当主の護衛、そんなのを相手にさせるのだろう。 そして翼と彼は本陣のさらに奥に、混乱に乗じて潜り込む。 「決行は?」 「夜明けと共に包囲する」 そのために、月が南中する頃。南の空で最も高く、最も明るく満月が照らす深夜に。 気付かれないようにとなれば道を進むのに時間は掛かるけれども、早く着きすぎても困るから、丁度着ける時間帯に。 「翼、俺が連れてったアイツはどうするんだ」 「ああ・・・」 飛葉の為と称し、目的を限定されて育てられた少女。 今は敵の本陣の中で、おそらく。 「もちろん、取り返す」 長くを置いておくなんて、出来るわけがない。 2007/03/07 |