ひたすら邪魔な奴だけ切り捨てて。
それでも、今はそうしなきゃいけない。





毒娘





馬が入れる場所にはいい加減限りがあり、翼と柾輝は馬から降りた。
廊下の正面は行き止まり、そのまま左に折れると白い襖が見つかる。
周囲から幾度となく響く刃と刃のぶつかる硬質な音。太い叫び声と、耳障りな悲鳴。

もっと近いところで、男にしてはかなり高い声がした。
翼はためらうことなく、白い障子を乱暴に開けた。



「知りません、本当に知らないのです・・・! あ・・・っ」
「ぐ・・・」

入って最初に耳に飛び込んだ、少女の声。目に入ったのは怯えた彼女の表情と、その身体を自身の体躯で押さえ付けて首筋に顔を埋める男の姿。
とっさに刀を抜き、男に切り付けようとした翼の動きは、しかし男のくぐもった声でとどまった。
目の前の男から、そのまま力が抜けていったのだ。

「あ・・・う、そ・・・・・」

少女の瞳が驚きに見開かれ、小刻みに肩が震えだす。
赤い襦袢からのぞく白い足が、男から逃れようともがく。

「し、死んで・・・なん、で、・・・」
「何!?」

翼が男を少女から引き離して首に手を当てる。
冷たいぐにゃりとした、気分の悪い感触。およそ人間とは思えない手触りは、肉塊と化した死体のもの。

「何で・・・? だって今まで」
「当主殿、飛葉の兵が!」
「まずいっ」

男を部屋の隅へと放り、翼は少女の手をつかんだ。
青くあざとなっている指の痕が痛々しい。

「マサキ、お前が首を取れ!」
「おい、こいつもう死んで・・・しかも一応大将」
「俺がやんなきゃいけないって決まりはないだろ、早く!」

駆ける足の音が部屋に近づいてくる。
後ろで斬首の音がすると同時に翼の目の前にも兵が現れた。

「ひ、当主ど、」
は見るな!」

少女の顔を庇うと翼は目の前の兵を斬り付けた。
叫ぼうとした言葉も言い終わらないうちに、その兵士は足元に崩れ落ちる。
それを踏み付けて部屋から出ると、少女の手を引いて部屋から走り出た。
追っ手はなし、廊下には倒れた兵士の他にはなく、馬も無事そうだ。
自分の馬に軽く登ると、翼は少女を引き上げて自分の前に乗せた。

「掴まって、怖いかもしれないけど取り敢えず目瞑って。ここから出るから」
「あ、はい・・・」

誰一人斬らずに抜けるのは多分無理なことで、敵味方なく転がる死体を見ずに済ませるのも無理な話だ。
けれども。

――偽善かもしれないけれど、には出来る限りそんなものをこれ以上見せたくないんだ。





「・・・もう、目開けていいよ」

言われるままに少女は閉じていた目を開いた。
目の前に広がるのは薄青の空、深緑の山。白い光が目に痛いほど眩しい。
まだ温まっていない風が髪を絡め、頬を撫ぜ、纏う着物の隙間から入り込んでまた逃げていく。
広がるのはどこか懐かしい、見たこともない世界。物珍しそうに少女は辺りを見回した。

足元から、腰から、規則正しく伝わる振動。右から支えられた腕。背中だけ風が当たらず温かい。
赤茶の土と、草のにおい。蹄の音、遠く聞こえる喧騒。混じる鉄錆のような血のにおい。
すぐ後ろにある赤みがかったやわらかい髪、整った顔。少女は振り向いてそれを見ると声を詰まらせた。

「当主・・・様、その・・・」
「ああ、血は僕のじゃないから」

何人分だか知らないけれど、乾いて固まった血と濡れたままのが混ざって気持ち悪い。着物も引っ掛けたりはしてるから所々切れている部分があって、それだけ見れば大怪我人のようだ。

「で、その首の傷は?」
「あ・・・」

白い首筋に付けられた二つの赤い傷。両方ともそれほど深いようには見えないが、まだ少しずつ血が滲んでいる。
片方は聞かなくても大体想像がつく。その傷の他にもうなじに、肩に、ちらりとさっき見えた鎖骨にも赤い痕が点々と咲いていたからだ。
朝日の下の赤い襦袢は夜の効力を失って、汚らわしい卑猥なものへと成り果てている。それでも少女の白い肌と赤い痕を強調するには十分な要因だった。

「これは・・・朝部屋に来た方が入るなり斬り付けてきて・・・」
「それってさっき死んでた奴?」
「はい・・・」

なら、さっきの奴は自分が付けてしまった傷口を見ていたのだろうか。
――敵方の人間に?
いや、最初に直接会ってなければ敵方の人間とは限らない。

――女だったから?
女だろうと死んだ当主の傍にいればまず疑う。それなら傷なんか見ないでとどめを差すだろう。

「あ、」

もし、飛葉軍包囲の知らせなしに部屋に行ったのだとしたら。見張りは二人とも知らせる前に殺してしまったのだから、連絡が行くのはそれこそ突入後のはず。そうすると、その男が知らせに行くのは早すぎる。
と、いうことは。

「ところで、当主の方はいつ死んだ?」
「よくわかりませんが・・・早かったです。一刻は経ってたと思いますが、二刻には」

それなら。

「まさか・・・ったく、どいつもこいつも変態ばっか」
「当主様?」
「何でもない。その下のは」
「これは・・・」

少女がその場所に手をあてる。離すと血の擦れた跡が出来ていて、やっぱり乾いていなかった。

「昨晩、夜伽にと召された時に・・・」
「え?」

思った通りでも、それは。

「・・・その手首の痣は」
「十日ほど前・・・岩室で」
「・・・・・・」
「あの、当主様、何か・・・」

翼はかぶりを振る。
単純に体質の問題だと思いたい。栄養状態がそんなに良くないせいかもしれない。
何でもない。

「何でもない。・・・飛葉の陣見えてきたから」
「あれ・・・ですか?」
「軍旗が見えるだろ?」
「えっと・・・」

少女が言い淀む。

「飛葉の紋、知らなかった?」
「いえ、そうでなくて・・・霞んで紋が見えないんです・・・旗があるのは、わかります・・・」
「赤い線は?」
「赤・・・?」

聞き返すように言って首を傾げた少女を見て、不安感が増す。
こんなによく晴れていて、空気も澄んでいるのに霞むなんて。
いくら何でも、それはおかしすぎる。

「・・・明日、桜上水へ行く。ついてこいよ」




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2007/03/29