まさかと思うけれど、心当たりは有る。
とびきり、高い可能性でひとつ。





毒娘





のんびりと歩く一頭の馬。隣に並ぶ二つの人影。
馬は見事な青毛だった。馬にはごくありふれた色ではあるが、光の当たり方によって所々青く見えるその黒い毛並みは、滅多に見られるものではない。
真っすぐな足は太くしっかりとしていて、黒い蹄が地面を交互に踏んでいる。
鞍は着いているが乗っている者はおらず、手綱は騎乗者ではなく隣で歩く少年が握っていた。


「あれっ、翼さん!」

よく通る声で名前を呼ばれて、翼と少女は前を見つめた。
道の遠く向こうで見えた人影は藍色の着物で、背に大きな籠を背負っている。
比較するものがないのではっきりとは言えないが、籠の大きさからするにかなり小柄な少年だった。

彼はもう一度同じように叫ぶと手を振った。
翼が手を挙げると、その遠くの影は大きく手を振りなおして走りだす。
走りだしたが・・・・足元が見えなかったのか小さなくぼみに足を取られてべたんと転んだ。
起き上がると恥ずかしそうに笑い、籠から落ちたものを拾い集めて早足で翼のもとに近づいてきた。

「何やってんだよ、将。転ぶほど慌てて走る必要なんかないだろ」
「そうですよね、済みません、急がなきゃって思って・・・。翼さん馬変えたんですね。あ、その方は?」

彼は人の良さそうな笑顔で、少女の方を向いて尋ねた。しかし少女は何も言わず、困ったように曖昧に笑ってみせた。
それを見て彼は焦ったように付け加える。

「あ、済みません、僕は風祭と言います。不破君の所で手伝いをやってて・・・
あのー?」

少女は変わらず困ったように笑みを浮かべ、翼の方をちらと見た。一つ小さなため息をついて、翼は彼に答える。

「こいつ、俺の親戚」
「え、翼さんの?」

適当な翼の答えに、将は素直に頷いた。
少女は相変わらずの表情で二人を見比べている。

「綺麗な方ですね・・・」

惚けたように彼が言った。
確かに、少女の美貌は稀に見るものだ。桜上水にもたいそう綺麗な娘が当主の側にいるが、引けを取らないどころか人によってはそれ以上の評価を出すだろう。
何よりその薄幸そうな儚げな雰囲気がより魅力的に見せるのだ。

「そりゃね。・・・何、将見惚れてんの?」
「ち、違います!」

慌てたように将は首と手とを懸命に振って否定する。
顔が真っ赤なのは気のせいではないだろう。

「ただ・・・お人形みたいな子だなぁって思って」
「黙ってりゃ人形みたいなのは桜上水にもいるだろ」
「あ、有希さんですか? そうなんですけど・・・なんかこの子は雰囲気違うんです」

将は背中の籠を背負い直した。
中に入っていた緑色がさらさらと音を立てて跳ねる。

「ところで翼さん、水野くんの所に来たんですか?」
「この道通っててわかんないの? 不破に用事」
「えっ!?」
「で、帰るとこ」
「じゃあ国境まで僕も行っていいですか!?」

翼が怪訝そうな顔をして将を見た。将がギクリと後退りするのを鼻で笑って、彼は前を向く。

「いいよ。・・・その籠持っていくわけ? しかも不破に断りもなく?」
「あ・・・無理ですね・・・・」

籠の中身は種々の薬草で、それがなければ薬の調合は出来ない。
また彼は頬を赤らめ、残念そうに言った。

「あ、じゃあ、また来て下さいね」
「わかったわかった。その内」
「ちゃんと来て下さいよ」
「水野が嫌な顔しなけりゃね」
「うっ・・・」

将が言葉に詰まる。
それを面白そうに翼は見やって「じゃあ、」と付け足すように言った。

「これ以上いたら長話になるし、将もさっさと戻れ。日が暮れるまでには帰りたいだろ」
「あ、はい。本当に来て下さいね!」
「何回も言わなくてもわかってるよ・・・ほら、お前も」
「あ・・・済みません、失礼します・・・・」

翼に促されて少女が軽く会釈をした。
ひらりと二人を乗せた青馬は、軽々と道を駆ける。
後ろを振り向くと、将が手を振っているのが見えた。





「あの、当主様・・・」
「何?」

馬を走らせている翼に、少女が不安そうに問い掛ける。
日は大分傾いていて、辺りを包んでいるのは橙色の空だった。もう日暮れ前に飛葉に到着するのは難しいだろう。

「私は・・・馬に乗っても良いのですか?」
「何、そんなこと?」

翼の聞き返し方が責めているように聞こえて、少女は「すみません・・・」と消え入りそうな声で答えた。

「戦の時に連れていって下さる方は駄目だと聞きましたので・・・」
「ああ、マサキの時ね。あいつは毒に耐性がないから。僕はあるからこうやってられるの」
「当主様が・・・」

「うん」と短く返事をして、翼は手綱を握り直す。
目の前に続くだらだらとした緩い下り坂。気を付けないと馬がはやって乗っている人間が落とされる。
宥めつけて馬を安定させると、翼は少女を見た。落ちないようにと彼女の腰に手を回して座らせ直す。
袴と違い、小袖は馬に跨いで乗りにくい。女なら尚更で、だから跨がないで乗らせると落馬しやすくなってしまう。
少女が頭を下げると、翼はようやく続けた。

「椎名の家は代々薬を扱っている。薬のもとになるのは毒も多いから、毒も扱ってる。当然事故も多い。その時当主に間違いがないように、椎名の家系の当主になる者には毒への耐性が求められるんだ。もちろん大量に与えられたら危険だし、僕だって毒娘を抱けば死ぬよ。その程度だけど、このくらいなら平気」

「馬自体はでかいから少しお前が触ったくらいじゃ何ともない」と付け足し、少女はほっとしたように頷いた。

飛葉が見えるまで、まだ遠い。




前頁  初頁  次頁


2007/04/16