そぼふる小雨の 晴るるも待たで 土に散りぬる 花の姿や 照りにし木陰の 薄れくごとく 和らぶ風の かの静けさよ 思えばは悲し 短き夜の 結べど跡無き 夢路に似たり 夕風過ぐれば 乱れて落つる 小萩の葉末の 露の命か 暗きあめより やや降り積もる 真白き深雪は 淡く清けり 昔恋しき 契りし者の つれなき別れ 今際のゆかしさ 毒娘 目を覚ました翼は、暗い部屋を見渡しながら起き上がった。 上掛けなしで眠っていたせいか、火の気が全くないせいか。翼は寒気を感じて軽く身震いする。 月明かりすらない夜、畳に手をついて彼は目をこらした。そしてすぐにここが自分の部屋ではないと知り、記憶を手繰る。 「玲の奴・・・っ」 ――一服盛られた。 何の毒だか知らないが、食事かお茶にでも入っていたのだろう。玲ならたやすく出来るはずだ。 昨日の気を失うほどの頭の激痛は嘘のように消え失せていた。 翼は障子戸を乱暴に開け放って縁側に出た。すぐ下の石の上には脱いで放置されたままの草履が並んで置いてある。 暗い庭、肌にまとわり付くのはひんやりとした夜の冷気。空高く昇っていた弓張りの月はどこにも見えず、細かな星が一面に散らばっていた。けれども東の空はそろそろ黒以外の色が見えている。 夜明けはそう遠くない。 急げ。 翼は玲の言葉を思い出す。 あの口振りからすれば、夜明けの頃には全て終わってしまう。毒娘は新たに人を殺すため、武蔵森へ。 「しかも玲、マサキどこやって・・・」 何故か玲の口から出た名前、見えない本人。 数刻会わないことくらい珍しくもないけれど、玲の言ったことが気に掛かる。 「処分する」と。 確かにはっきりそう聞いた。 「・・・っ!」 そうだ。 でも、まさか。 そんな非道になるわけはない。 翼は草履を引っ掛けて庭へ飛び出した。踏まれた枯草がかさかさと耳障りに音をたて、どうにか地に倒れこまずにいるものは、行ってはいけないとでも主張するように彼の足を触って揺れる。 まず初めに向かう場所は、家の最西。 存在を知る人は少なく、知れば死に直結する秘密の場所へ。 「おも・・・えば・・は、か・・・なし」 擦れるような声は苦しげに吐き出されている。 どこか耳に馴染む優しさを持ったはずの旋律は旋律の形をほとんど失い、歌われている中身すら聞き取ることは難しかった。 日の出から遡ること二刻。魑魅魍魎が跋扈すると恐れられた時間。 蝋燭一本の明かりが揺れる岩室の中にいるのは、妖怪ではなく一人の妖艶な少女だった。 固い石の床に座り込み、ぼんやりとした瞳で岩室の冷たい壁を見上げている。 ゆるく纏められていただろう長い髪はほつれ、どうにか結紐は残っているものの髪はうなじや肩に幾筋もこぼれ落ちている。 身につけているのは藍色の小袖だが、肩から軽く羽織っているだけで袖は通していない。その下に纏った白い襦袢も帯は留まっているが大きくはだけていた。 は視線を壁に向けたまま、床に横たわる彼に手を伸ばした。 指先に乾いた蝋のような感触を感じ、それを愛おしそうに撫でている。 国をも傾かせかねないその美貌を歪ませ、凍るような笑みを湛えて彼女は小さく歌を紡ぎ続ける。 「むす・・・べ・・ど・・・・・あと・・・な・・・き・・・」 は岩室の壁から視線をそらさない。 途切れ途切れのその声は苦しそうだが、鈴を転がしたように透き通って岩室を駆ける。 蝋燭がゆらゆらと光を放ち、僅かな煙と煤を出しながら燃えている。 溶けた蝋は赤い筋となり、涙のように流れては固まり、何本も蝋燭の脇に走っている。 柾輝が持ってきたその赤い蝋燭は、もう半分も残っていない。 2007/05/26 |