毒娘
愛する人のそばで死に逝けたのだから。
それは幸せだったはずなんだと、どうやったら納得できるだろう。





毒娘





「当主様・・・! あの、本日も・・・」

柾輝が死んでから四日目の昼、昨日と全く同じ報告に翼は眉をよせた。


あの日、すっかり意識の失くなったは、母屋の最奥の小さな部屋に入れられた。
部屋は四畳で、調度はほとんど何も置いていない。ただ、部屋の隅にはいつも使っていた桜色の行灯と黒い燭台が相変わらず鎮座していた。
まるで、その場所が最初から自分の居場所だとでも主張するように。

部屋は八畳の大部屋と繋がっており、間を四枚の襖で仕切られていた。実際にはその大部屋が母屋の端、門から一番遠いところにある部屋だった。
南側には縁側があり、襖も障子も鍵などかからない。外に出るのも自由だったし、中に入るのも自由だった。

しかし、どういうわけか――もちろんその部屋が母屋のあまりに奥にあるために近寄りにくいというのもあるのだろうが――部屋を訪ねる人も縁側の庭先で遊ぶ人もいなかった。
の部屋の周辺はいつでもひっそりと静まり返り、足音はおろか自分の息遣いまでも聞こえそうな静寂に包まれていた。

そしてもまた、部屋から一歩も外に出ようとはしなかった。
時折ぼんやりと外を眺める以外は縁側へ通じる障子戸すら開けず、薄暗い部屋の中で日がな一日ぼうっと座り続けていた。

さすがに精神的に参っているのだろうという玲の判断で男をあてがわれることはなかったが、憔悴した彼女を見るとそれで回復しているとも思えなかった。

新入りの小間使いによって彼女の部屋には食事が運び込まれたが、まったくそのままの状態で返ってくる。
それは食事以外でも同様で、書物や楽器、筆なども彼女の関心を引くことは出来ず、運び込まれても隅に置かれたままだった。
小間使いの少女はそんなをひどく心配してか、玲や翼が頼んだ以上に逐一報告してくる。玲は放っておきなさいと言い、翼もいちいち行動できるわけではない。


翼は目の前のとは違う少女を見た。そして、思う。
彼女もその内、処分という名目で殺されるのだろう、と。その時殺すのは玲なのか、なのか、それとも自分なのか。

そこまで考えて、翼は自分の考えにぞっとした。それから型通りの表情で少女に返す。
「わかった、教えてくれてありがとう」と。
それから彼女の去るのを待って足を向け、ふと思い出して自分の部屋へと向きなおした。






の部屋は人の気配が全くなくて、本当にそこに居るのか不安になる。
きしむ板張りの廊下を真っすぐ歩き、一つ扉を開け、それから進んで今度は右へ。襖を開けて間に存在する部屋を通り抜ける、これが近い。
最後の襖をすっと開けると、部屋の北側の壁にもたれた蘇芳の着物が目に入った。
蘇芳の着物に包まれた体は微塵も動かず、ともすれば人形のように気配をなくしている。これで着ているものが鮮やかな蘇芳でなかったなら、この狭い部屋の中でも瞬時に目が行くことはなかったかもしれない。



名前を呼ばれてもぴくりとも動かない。
翼は声を強めてもう一度同じ名前を呼んだ。しかし、本当に彼女は人形のごとく微動だにしないのだ。
視線は縁側の方、わずかに俯いている。背は壁に預け、一糸乱れぬまま着物を纏い、膝を曲げて座り込んでいる。右手はだらりと畳に下ろし、左手は着物に隠された足の上にある。

話に聞いていたはずなのに、その姿に自分の体温が急に下がっていく気がした。


襖から離れて、翼は名前を呼びながらの体を揺さ振った。ずっと一所を見つめていたの頭が、緩慢な動作で翼の方を向く。
次第に焦点が合ってきて、の瞳が揺れる。
よかった、とほっとしたのも束の間、の肩に置いていた手は振り払われた。
しまった、という焦ったような表情が、怯えるような目が、一瞬彼女の顔に現れた。

「申し訳ありません・・・しかし上様、お離れ下さい。・・・お命に関わります」

の態度に気付く。
自分の立場は椎名の「当主」で、最初にそう接してしまってからそのままなのだと。
たとえ一度や二度、咄嗟のことに優しくしてしまったとしても、それで何かが変わったわけではないのだと。
むしろ、その度にには何事かが降り掛かっていたのだからそんなこと憶えていないかもしれないし、不審に思っていても表には出せないのかもしれない。

「何のつもり? 食事もとらずに」
「・・・食欲がない、のです・・・」
「マサキを殺したから?」
「・・・」

が悲しそうな顔をして翼を見た。じわりと目が潤んで、彼女は下を向く。

「私を岩室から出して下さったのは・・・上様ですか?」
「それが?」
「お礼を申し上げていませんでしたから・・・でも、私はあのままでよかった」
「・・・ばっかじゃない!? 蝋燭一本燃え尽きたあそこに居たかったわけ!? マサキの所に居たかったから? 言っとくけど、あそこに居たら毒娘でも死ぬよ」

「ですから」とは震える声でつぶやいた。


「死にたいのです」



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2007/07/18