彼と一緒にいたいから、死にたいのではないのです。
それでも、少しは近付けるでしょうか。
所詮、毒娘はそばにいけないのだから。





毒娘





「何、て・・・」
「死にたいのです・・・幾人も殺めて、敵方ばかりか味方まで。私に良くして下さった方まで、私はこの手で、この体で、殺して。それなのに私は・・・。何故、死ねないのですか・・・」

だんだん声は小さくなって、聞こえるかどうかのまま一人つぶやく。
二人分の吐息しか聞こえないほどの静けさの中、誰に問い掛けているというでもないその声を翼ははっきりと聞き取った。


――だから。

こんなに痩せて、やつれてもなお。
動きもせず、食事もとらず、人形のようにじっと座って。
呼吸がなければ、体温がなければ、死んでいるのとまるで変わらない。


「じゃあなに、蝋燭を消さなかったのはわざと?」

沈黙のまま、は目を伏せる。翼はそれを肯定の合図だと受け取った。

「あのまま・・・でいられた方が良かった・・・」

死んでからもう三日、それだけの時間が経っているのに、放心したような彼女の様子は何一つ変わらない。
たぶん、の中でこの三日は丸々空白として過ぎ去って。
何も残っていないのだと思う。

そう考え始めてしまったら、その思考を完全に外に追い出すなんて不可能なことだった。


「へぇ・・・それ、何のつもりで言ってんの?」

翼の声が、表情が。
意図せずに固くなったのに、まだ二人は気付かない。

「何のつもり、とは・・・」
「生死なんて重要なもの、毒娘の身分が自分で決められるとでも思ってるの?」

の顔が翼の方を向いた。

頬は紙のように白くて、唇も色を失くしている。
均整の見事に取れた顔に、濡れた黒い瞳。それを縁取る、黒くて長いまつげがそっと伏せられ、薄暗い中で更に濃い影を落とす。

彼女が再び俯いてしまうまでの、そのほんの一瞬だけ。
今にも泣きそうな瞳と目が合った。


「申し訳ありません、出過ぎたことを言いました・・・」

震える声と、かすれて消えていった文末。
翼からの顔は完全に死角の位置で、表情からは泣いているかどうかわからない。
ただ・・・今泣いていなかったとしても、もうすぐに泣く。の声は、聞くからにそういうものだったから。

「・・・まあ、今回は大目に見るけど。いつまでもそうやって塞ぎ込まれてちゃ、こっちも困るんだよね。次のこともあるし」
「次・・・」
「そ。春になったら行ってもらう所があるから」

新春、正月の慶賀の時に。
長い繁栄と安定とを願い、友好と和平を再確認しあう、その慶賀の時に。

隣の国、そこを倒そうと、毒娘を送り込んで。
の正体が知れたら、も飛葉も無事では済まない。無事では済まないどころか、記録以外からは存在が知れなくなるかもしれない。

成功するとは思いがたい危険な賭けは、春になったら行なわれる。

「春・・・ですか」
「だから最低限それまで生きててもらわないと困るってわかった? わかったら夕餉から食べてもらうから」
「はい・・・」
「立場、わきまえてよね」

が頷いたのを見る。
あと、もうひとつで。

「あ、それから」

立ち上がって襖に手を掛ける前に、思い出したように翼は言った。

「マサキの葬式昨日終わったんだけどね・・・玲が仕事をしてくれた毒娘に、ひとつ何か与えるって」
「柾輝、の・・・」
「言っておくけど、毒娘なんかに渡せる形見はないよ」

が静かに首を振ってうつむく。
欲しくないと言えば嘘になるけれど、そんなものをもらっても悲しいだけ。

「何でも・・・よろしいですか」
「さあね。ある程度は平気だと思うけれど」
「・・・人・・・が欲しい・・・です」
「え・・・?」

驚いたような声のあと、次の言葉が聞こえてこない。
は震える声で繰り返す。

「何でもよろしいのでしたら・・・人を頂きとうございます。・・・私が、殺めてしまっても良い方を」

それから言葉は続かない。ただ、の小さな嗚咽が代わりに翼の耳に届いた。
の言葉に衝撃を受けながらも、どうにか翼は返事をする。

「・・・用意しておくから」

そのまま、逃げるように部屋を出て襖を閉じた。
背にした襖一枚を隔てても、なおの嗚咽が耳に付く。


――泣けばいい。

葬式は、生きている人が心の整理をつけるためにやる儀式だという。
目の前で死ぬ様子を見て、その原因が自分だと知っていて。
泣けなかったのが悲しすぎたせいだとしたら。

ようやく、は泣けた。
これでまだ生きられるだろう。



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2007/07/30