新春、睦月。 まだ所々に雪は残るが、暦の上では春になる。 毒娘を使うのは、もうすぐ。 毒娘 元旦を家で祝うと、次の日には挨拶がやってくる。 椎名や西園寺の名が付く幾家もの親戚、仕える家来たちと。 それが一段落しても正月は終わらない。 三日。 この地域一帯全ての国の頂点に立つ、隣国の。 当主が代わって最初の正月だから、大々的に慶賀の儀が行なわれるのだ。 それに合わせて、飛葉の椎名家でも慌ただしく準備がなされていた。 それは目下、毒娘の為に。 衣裳はもちろん、かんざしや櫛、白粉や紅はおろか匂袋まで毒娘のものを新しくしつらえさせ、玲はやたらと上機嫌だった。 それは外にもよく現れていて、部屋から出されたが多少戸惑っているのが手に取るようにわかる。 「ほらほら、何しているの。あなたも用意があるでしょう。毒娘の用意は終わったら見せてあげるから、自分の方をどうにかしなさい。いくらあなたが当主でも女性の着替えを見るのは失礼よ」 「はぁ? 玲、何言って・・・!?」 「ほら、出なさい」 当然のごとく、別に着替えを見ようと思ったわけではないのだけれど。 玲におされて翼は二人の入る部屋を追い出されるように出た。 そして、苛々するほどの長い時間をかけて。 ようやく玲によっては連れてこられた。 彼女が纏っているのは、上等の壺装束だった。 多少布地がくたびれた様子で、所々薄汚れているのはわざとつけたものなのだろう。 半襟が春らしい薄い紅色で、若草色の地には同色で様々な模様が織り込まれている。 外から一瞬見ただけでは無地に近く見えるが、近くで見るとその織りの緻密さに感嘆するばかりだ。こんなものを旅装束として仕立てるなど、罰当たりもいいところかもしれない。 「翼、見惚れてないで」 「見惚れて・・・っ」 「何言ってるの、綺麗だから見惚れるのでしょう?」 戸惑ったように、目の前でがたたずんでいる。 その姿は確かに綺麗だった。 僧服とはまったく違うが、それでも禁欲的な衣装を着ているはずなのに。息を呑むほど妖艶で、背筋が凍るほど美しい。 桜上水に評判の姫がいたが、引けを取らないどころかそれ以上だと言い切ってしまえるほどだった。 「・・・あの赤いのは?」 「ああ、あれはやめたわ」 「は?」 「保険よ。ついこの前、当主が変わったでしょう。今の武蔵森当主、知ってるかしら?」 「・・・まあ、顔くらいは。挨拶には行ったし」 そうだったわね、と玲がうなずく。 「彼は最近珍しい、穏健派の当主の筆頭ね。女に対する浮いた噂もひとつもないわ。そんな人に毒娘を渡しても、すぐに妾にするとは思えない。だらだらと武蔵森滞在を長引かせればそれだけ危険よ」 「それで壺装束・・・?」 「ええ。行ってすぐ殺してくれればいいのだけれど、そうもいかないのだから飛葉との関係は伏せられるだけ伏せておくに越したことはないでしょう? 最初から芸を売って歩く女だと思わせれば、手も出しやすくなるでしょうし」 「それじゃあ武蔵森の屋敷にいられるかがわからないんじゃ・・・」 「それは心配する必要ないわ」 玲は笑顔できっぱりと答えた。 「情に訴えれば絶対に屋敷に置いてもらえるわ。毒娘がその程度のこと、出来ないはずもないもの」 わかってるわよね、とに尋ねると、は小さく返事をした。 玲はそれを聞いて満足そうにうなずく。 「でも、それは余計な人が死んで・・・それに無茶だ、成功するわけがない」 「そうね、まあ上手くいくとは思っていないけれど。でも死人なんて何人出ようが構わないわ。それに抱かれる以外に殺す方法もあるでしょう。まだ嫡子もいないのだし、最終的に当主が死ねばいいのよ。何の為に飛葉から放すと思っているの」 にっこりと自身に向けられた笑みに、翼は口をつぐむしかなかった。 「当主様、玲様、馬の準備が整いました」 「・・・またなんか色々くっつけてないよね」 「あの、それは・・・」 「翼、ちゃんとやってくれないと面目がたたないわ」 「やだね、気持ち悪い。鞍だってわけわかんないものがいっぱいつくし、馬も扱いにくくなるし」 「当主がそれでは困るのよ」 まったく一致しない二人の言葉に、伝達に来た家来は顔を上げずに溜め息をついた。 また始まった。 飛葉当主、椎名翼様はそういうものがお嫌いなのだ。 「とにかく。示しがつかないのは駄目よ」 「馬で屋敷に入るわけじゃないんだから。僕は正装だってしたくないんだよ」 「いいわ、あなたはもう行って。外で待っていなさい、もうすぐ行くから。翼が嫌がったら縛り付けてでも乗せなさい」 「は・・・・ぁ・・・」 いくら玲の言ったことでも、当主は当主。一介の家来ごときにそんなことが出来るはずもない。戸惑っていると、玲がもう一度「外で待っていなさい」と告げた。 彼がそそくさと出ていくと、玲は再びの方を向く。 「じゃあ・・・わかっているわね」 「はい」 「そう。期待しているわ。それから、あなたの名前」 「え?」 「名前。ないと不便でしょう? そうね、」 玲が考えるような仕草をする。 「そうね、『』でどうかしら」 「・・・」 「ええ。これでいいのでしょう、翼」 「・・・勝手にすれば」 翼は立ち上がって、さっさと部屋を出てしまう。 玲は薄く笑みを浮かべて、を外に連れ出した。 「あなたももう行きなさい。失敗はしないようにね」 2007/08/18 |