成功しないでほしいと、心のどこかで思っていたのかもしれない。 心で思うだけじゃ駄目だったけれど。 でも他にどうしようかなんて考えられなかった。 毒娘 軽やかな琴の音が大広間に響いている。 高く、低く、それは流れるように。 あそびめたちの先頭で琴を爪弾いているのはだ。基本的に舞の伴奏という立場なのだが、明らかに彼女の琴は伴奏に収めておくべきものではなかった。 彼女が気を遣っているのか、舞が見劣りしてしまうということは辛うじてない。伴奏はあくまでも伴奏に撤している。しかし、今まであそびめが出していた音色と全く違う。 何でも出来ると言ったのもあながち嘘ではなかったようで、様々に曲を変えては弾き続けていた。 宴の邪魔になるような主張もせずに、しかし耳を傾ければ音質も曲調も技術も、どれをとってもの琴が一番聴き心地がいい。 確かに、彼女は上手だった。優雅な笑みを浮かべて舞を踊った彼女は、確かに美しかった。 玲がこうやって差し出すのもためらわなかっただけのことはある。 今まで、ずっと彼女は飛葉にいた。それなのに一回だってちゃんとした演奏を聴いたことがなかった。 それを初めて聴くのがこんな席だなんて。 嘘でも本気でも、笑顔を見たのが外でだなんて。 ――笑いたくなるほどの、皮肉。 毒娘のことは気になったけど、もう見ていられない。 「お開きに」という言葉を聞いたとたん、翼はさっさと大広間から出ていった。 シャン、と、馬の首に付いた鈴が鳴る。一歩一歩進むたびに、シャンシャンと軽やかに鈴は鳴る。色とりどりの飾り紐がひらひらとなびいていた。翼の赤っぽい髪と着物の袖も一緒にゆれる。 列の中心よりはやや前寄りの位置で、翼は前を見据えて一言も喋らずに馬を進めていた。 表情は浮かない。 「翼。どうしたの、そんな考え深げな顔をして」 「・・・玲」 後ろから青毛の馬が近づいてきて、横に並んだ。 翼はほんの少しだけ首を動かして玲の方を見る。 「何?」 「どうだった?」 「だから何が?」 「宴よ」 馬の速度を合わせ、翼と並走しながら玲が尋ねる。 「最悪だよ。毎回毎回、見え透いたことばっか言いやがって。吐き気がする。当主のそばに控えてた奴らは目つき悪いし、食事だって豪華なばっかで食べられる部分ほとんどないし、あそびめだって」 「随分ね。・・・でも、毒娘は綺麗だったでしょう?」 「?」 翼が聞き返すと、玲は「そんな名前にしたんだったわね」と返した。 「あの子がちゃんとやってくれてほっとしたわ。無事に武蔵森に置いてもらえることになったし」 「情に訴えるってあれのこと?」 「そういうことね。どうやるかなんて指示は少しも出していないけれど」 「・・・ふーん」 指示なしで、あれくらい。 今までどれほどのことを指示されてやってきたかなんて考えたくもない。 「・・・あんなに色々出来るとは思わなかった」 「そりゃああの子が小さい頃から私が教えたんだもの、出来るに決まってるわ」 「小さい頃から、ね・・・」 もう、完全に思い出せる。鮮明に憶えている。毒娘の強い力を識った以上、全てのつじつまが合う。 初めて彼女と会ったのは、まだ本当に二人ともが幼いときだった。互いに何も、毒娘の力なんて知らなかったし知る由もなかった。毒娘にしようと育てられていることだって、どうして考え付くことが出来るだろう。 今更になって思い当たることはたくさんある。 近くで死んでいた玲の猫。 春になっても枯れたままの草花。 誰も気付かないような所でひっそりと建っていた庵と、決して近づくなと言った玲の言葉。 真っ赤な猛毒の蝋燭と、それを毎晩灯されても死なない彼女。 ふわりと身に纏う、甘い香り。 全部、今更になって思えば――彼女が普通でいられるわけないと教えてくれていたのに。 あの頃は本当に無知で、何も知らなくて。ただの主従関係じゃなくて友達になれるとさえ信じていた。 ――今、は。 そんな夢みたいなこと信じていられるほどに馬鹿じゃない。 ただ、それくらい愚かだったら良かったとは思っている。 *** 宴が終わった武蔵森。 雇ったあそびめを早々に指定の場所へ追いやり、片付けを使用人に任せ、笠井は屋敷の奥へ向かった。 奥には武蔵森の当主――渋沢の部屋がある。本来、もっと早くに集まらなくてはいけないのだが、結局後始末やら何やらで行くのが遅くなってしまった。 伝えたい、むしろ伝えなくてはならないことがある――義務にも似た感覚に後押しされる。 あの、途中で入ってきてあそびめに加わった少女。何の根拠もないが、あれは危ないと直感が告げている。 彼の直感には信用がある。笠井は部屋の障子を音もたてずに素早く開けた。 こちらを向いた視線をやはり見返してなだめると、笠井は渋沢の前で立て膝をつき、やや考えてから切り出した。 「あの今日の娘・・・決して夜伽にはしないでください」 「今日の・・・のことか?」 「はい」 神妙に返答する笠井に、渋沢が不思議そうな顔をして聞き返す。 「随分急だな。どうしてだ?」 「・・・勘、ですが。彼女には少し気になることがあるんです。様子見の意味も含めて、当分は」 「・・・そうか。わかった」 笠井の勘は下手な理論より信用される。渋沢は彼の答えに大きくうなずいた。 けれども、この判断が正しいかはまだ笠井本人さえわかっていない。 2007/09/17 |