危ない。 彼女も、ここも。 どうすればいい? 毒娘 宴の騒ぎもようやくお開きになって、一通りの話し合いに呼ばれた後、は小さな部屋に通された。 つくり込まれた書院造で、床とは別に付書院があり、床の間も設置されている。 小さいと言っても四畳半、彼女がかつて与えられた中で一部屋の広さとしては最も広い。しかし、置かれた小さな桐箪笥や脇息などによってその部屋は狭く感じられた。 庭にせり出た縁側はやや西寄りの南向きで、そこと部屋を仕切る壁一面分の障子の外はもう宵闇の世界だ。 外の光の代わりに、部屋の内側で灯る行灯の光がゆらゆらと障子に陰影を作り出している。 屋敷の中心からはかなり外れた小さな部屋。普段使われなかったせいか、部屋の空気はやや湿っぽい。 客に貸すにはあまりにも悪い部屋だと渋沢がためらっていたが、の希望や武蔵森の事情に当てはまる部屋はそこしかなかった。 それでも。 彼女の意を最大限汲んでくれた結果だということには、も本当に感謝している。 「人があまり近づかない場所」、それがが一番望んでいる条件なのだから。 練習の音がうるさいといけないから、とか適当に理由はつけた。明らかに訝しげにしていた人もいた。それは自身も当然だと思っている。 ――自分は、得体の知れない女。 守るべきものがたくさんあるのに警戒しない人がいるだろうか。 だから、この部屋。 この部屋はの所望したとおり一番人通りの少ない部屋であり――この屋敷の中心、つまり政治を行なったり謁見をしたり、果てまた渋沢の私室等からも一番遠いのだ。 向こうにしても苦肉の策。危険を遠ざける代わりに監視もろくに出来ないのだから。 は小さな褥に横になった。 障子の反対側の壁には三味線と十三弦の琴が立て掛けてある。二つとも宴の後で渋沢から送られ、荷物と共に運び込まれたものだ。 彼は優しい。けれども。 「・・・早く」 ――殺さなくては。玲様の為にも。 その為だけに来たと言っても過言ではない。 ひとつ、寝返りをうって行灯の火を消した。 慣れないことをしたせいだろうか。体も頭も疲れ切っている。 いつもだったらこのくらいの時間、まだ起きている頃だろうに。 障子に映る外は墨を流したように暗い。まだ今日は月初め、弓張りにも満たない三日夜の月はもう沈んでしまっているのだ。 辺りを覆うのは黒い闇。 目を瞑ろうが瞑らなかろうが変わらない世界。 それでもは目を閉じた。 疲れた。頭は冴えているけれど。 少しでも長く、眠りたい。 どのくらい時間が経っただろうか。それはもしかしたらほんの数秒かもしれないし、何刻も過ぎていたかもしれない。 うとうとと微睡みかけた頃、は小さな足音で目を覚ました。 それは正確には、鶯張りの廊下が鳴らした音。しかし、この際その音が床と人間、どちらから発されたかなど問題ではない。 今、この状況で考えるべきはひとつ。 ――誰かいなければ、廊下は音を立てない。 真っ暗な濃い闇で自分の体さえも見えないのは変わらない。 ただ、障子の向こうの黒の中に、うっすらと明るい橙が揺らめいているのがはっきりと見えた。 音が近くなる。 橙の光が揺れる。 広大な屋敷でも、この辺りに部屋をもらっているのはしかいない。南西、入り口から最も遠く、裏鬼門に近いこの方向に。 人が通らない場所を望んだのだから、ここを通り道にする人もいるわけがなく。 主殿をはさんで当主の部屋とも逆なため、用がある人もいるわけがない。 「・・・誰?」 足音は部屋のすぐそばで止まった。 橙の明かりも障子の中央で止まり、部屋の中にその一部がこぼれてくる。 こんな時間に、こんな所に。 招かざる訪問者が。 歓迎できるような人間じゃないのは明白。 上半身だけ体を起こして、息をつめた。 すっと障子が音もなく開いた。 提灯の明かりが部屋に入り込み、室内をぼうっと照らす。 ぼんやりとした明かりは、躍り込んだ人影が二つであるということしか知らせない。 「誰・・・っ」 武蔵森にいる人間を、この屋敷に仕える人間を、は知らない。 顔が視界に入っても認識することなんて出来ない。 「や・・・いや・・・んっ」 悲鳴を上げる暇もない。 体と口と押さえ付けられ、抵抗することも出来ない。 「んっ・・・んんっ・・・!」 男たちの息遣いが聞こえる。 寝間着にしている浴衣が肌を滑る。 ――殺してしまう。 でも、逃げられない。 2007/10/03 |