どうすればいいの。
どうすればいいの。
ああ、私は。
毒娘、は。





毒娘





湯殿の湯は捨ててくれるように頼んで、は私室に戻ろうと廊下を進んだ。

湯は本当に捨てるほどのものなのか、は知らない。自分の体にどれほどの毒が流れているのか、それは水に浸かると溶け込んでいくものなのか、そんなことも。
もしかしたらその程度の湯では後で誰かが浸かっても平気かもしれないし、反対に下手に捨ててしまったら土が毒で汚れるかもしれない。どっちに転ぶかなんては知らないし、今まで知らなくてもいいことだったのだ。

あるいは玲なら知っているのかもしれない。けれども教えられなかったことは、また詮索する必要もないのだと。
はそう思っていた。


庭に面した廊下を歩くと、春先のまだ冷たい空気が頬をなぜる。裸足の爪先は床板を踏んでもう冷えてしまったが、少し火照りの残る顔にあたる風は心地よい。



「・・・あ」

折れ曲がった廊下を道なりに曲がり、自室まで三部屋並ぶ直線になったところでは足を止めた。

曲がってすぐのところに、部屋に向かって渋沢が立っている。彼が見ているその部屋は空き部屋であったはずなのに障子が開いていて、中から物音も聞こえる。



床の音を立てながら姿を現したに渋沢はすぐに気付き、笑顔を向けた。

「気分はどうだ。大丈夫そうか?」
「あ・・・はい、おかげさまで・・・あの・・・」

戸惑いながらもが答える。
そうか、とうなずいた渋沢に続きを尋ねる前に、長身の彼よりもさらに高い体躯がその部屋から顔を出した。
空き部屋だったはずの、埃っぽいその部屋。
渋沢が納得したように表情を変える。

「辰巳に来てもらうことにしたんだが・・・」
「良平様、ですか・・・?」
「ああ。全く知らない人間だと、かえって不安だろう。辰巳は昨日からについていてもらっているし・・・誰か他の者のほうがよかったか?」
「あ、いえ、そういうわけでは・・・」

は慌てたように否定して、軽く首を横に振った。
誰だって側にいるとなったら同じだ。近くに人がいるというだけ、それ以上にも以下にもならない。
例えば朝方、を疑わしそうな目で見ていた三上だとか、そんな人でさえも同じ。
殺してしまうか、そうでないか。それだけ。

「一応、一部屋挟んであるから・・・あまり気にしないでくれ。形だけのものですめば問題はないはずだから」

目を伏せたに、辰巳も口を挟む。
小さくうなずいて、侑は渋沢の脇をすりぬけ、廊下を部屋へと向かった。

「形だけ」に。
本当になればいいけれど。



「・・・ぇ」

中に入って、侑は様変わりした部屋に目を留めた。

敷きっぱなしだった褥は取り払われ、青い畳が見えている。どこから出してきたのか、墨絵のしだれ桜が描かれた屏風が置かれていた。

部屋を間違えたのか、と一瞬考えたが、立ち尽くしたままその考えを打ち消した。
道は間違えていないはず。屋敷は広いが、特に迷路状に入り組んでいるわけではない。広大な敷地の中心部に主殿を据え、その東西にいくつか点在する院を回廊でひとつずつ繋いでいる、ごく一般的で単純な造り。複雑というなら、飛葉の椎名の屋敷のほうが複雑だった。

それで間違えたとも思えないし、辰巳と渋沢がいた部屋から確かに一部屋挟んだところにある。
屏風には前日に侑が来ていた袿がかかっている。

畳に目を落とすと、屏風の影に半分隠れるようにして何枚もの着物が重ねられていた。
目につくのは鮮やかな鴾や瑠璃。

「これは・・・・」

はかがんでそれを手に取った。

さらさらとした、やわらかい絹の感触が手に伝わる。 華美ではないものもの、織り込まれた模様も染め込まれた柄も縫製も上等で、誰が見ても高価なものだというものがうかがえる。

色といい仕立てといい、どう見ても女物の着物たち。それは男ばかりの屋敷において異質なもの。
ここにいる女というのは以外にはわずかばかりで、それも湯女や飯炊きなどのごく一部の使用人。言うまでもなく彼女たちは高価な着物を着ていられるような者たちではない。屋敷から少し離れたところ、この広い敷地の一画には一部の当主家に仕えている者の家族が住んでいたりするらしいが、例え妻だとしても一介の家来の妻では使用人と程度はそれほど変わらない。
置いてあるのは、明らかにのために置かれている着物たち。小袖も帯も綿入も、何もかも揃っている。

「どうして・・・」

手に取った着物をもとに重ねると、ふいに自分の袖元に目が行った。

自分のではない冴えない鳶色は、朝方ふいにかけられたもの。
着慣れた様子のやわらかさと、それでも固い麻の感触、大きすぎる袖と裾。飛葉にいた頃にはとても着たことのないような質の悪い着物。
それでも残っていた人の体温が暖かくて。湯殿から帰ってもそのまま着ていた。

「返さな、きゃ・・・」

脱ぐと体感温度が急激に下がったが、浴衣一枚ではないし耐えられる。鳶色の羽織を丁寧にたたみ始めて、ふとはその手を止めた。

――毒、は。
毒娘である自分がさわり続けていた着物。それははたして、どれくらいの力が。

大丈夫、だって長い時間着てたわけじゃないし、直接肌の上に着ていたわけでもない。確かに今こうやって触れているけれど、それくらいで。
そう考えてもみるけれど、すぐに別の考えが頭をもたげる。
余計な人殺しをさらに重ねたいのか、と。これでもし彼が死ねば、疑われるのはお前だ、と。

――関係、ない。
例え彼が死んでも体調を崩しても、私には関係ない。
人を殺めるのなんて、もういまさらの話。疑われたって、羽織が原因だなんて普通は考えない。そもそも、あの様子では彼自身がかばってくれる可能性もある。

は綺麗に羽織をたたむと、そっと障子を開けた。




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2008/02/28