障子の外が、やたらと明るかった。
いつもにもまして、外は静かだった。





毒娘





目が覚めてみると、障子から差し込む光はもうかなり明るかった。
朝と呼ぶにはまだ早いはずだと――そう体の感覚は告げていたが、障子を通して想像できる光は明るすぎた。
松明とも行灯とも間違いようのない、白い光がさしていた。

「もう・・・?」

起こした体に当たる空気が冷たい。それがますます覚醒を促して、は寝床から体を引きずり出した。

衣擦れの音が大きく聞こえる。辺りは不気味と言えるほどに静まり返っていて、明るいのに鳥のさえずりも聞こえない。
もちろん、朝早くから起きだして活動をしているはずの武蔵森の面々の声も、使用人のものさえも。

屏風にかけられた小袖を手に取り、軽く肩からかける。袖は通さずに左手で襟元を押さえながら、はもう片方の手で障子戸をそっと開けた。

「ぁ・・・」

木張りの廊下の更に向こう側、そこは一面の白い世界へと変貌していた。
外の空気は部屋の中のものよりずっと冷たくて、身を切るような寒さを覚える。
廊下と言っても、幅広の縁側のようなこの場所。屋根があるだけでは、温度は庭と何ら変わらない。は思わず、小袖の襟元を強くつかんだ。
いつのまに降ったのか、眼前に雪景色が広がっている。それはすでに積もりきっていて、新たな雪は降ってこない。代わりに空にあるのは、煌々と輝く白い月。降り注ぐその光を反射して、雪は時折銀色にきらめいて見えた。

音はない。
雪はその場の全ての音を吸収してしまったかのように、静かにたたずんでいる。
ただ、満月に近くなった丸い月が傾きながら照らしている。
不思議なくらいに明るい。

一歩敷居を越えて廊下に足を出せば、たちまち体温を床に奪われていく気がする。しん、と冷えた空気が体中にまとわりついて熱を奪っていく。
口から出ていく息が、白い靄へと変わって霧散する。

侑は凍えそうに青白い月を見上げ、敷き詰められた純白の雪を見下ろした。
もたれかかった柱はやはり床同様冷たかったけれど、もう気にならなかった。

本が読めそうなほど明るい月夜は、雪が白い光をさらに照らしたせいだった。それはきらきらと月を反射する。
むき出しの寒そうな木々の枝にも雪は乗って、冷たい白を見せている。

平らな地面、足跡はまだひとつも付けられていない。
あまりにも出来すぎたような、美しい景色だった。

狭い岩室の中にいた時、外の様子は格子のはまった、高い小さな窓からしか知りえなかった。わずかな範囲しか見ることは出来なかったし、見ようともしなかった。だから、降り積もった雪を、は一度も見た記憶がない。
それが今は目の前に広がっていた。


足を庭に出して、廊下の端に腰を下ろす。
東の空がほんのわずかに白み始めていたが、月の明るさには及んでいない。

ふぅ、とは大きく息をはいた。
白い気体が霧のように現れて、また薄くなって消えた。
凍り付くほどに冷たい空気は、このまま景色を凍り付かせてしまいそうだった。

ぼおっとは眼前の雪を見続けていた。
月は西の山の端にかかりかけ、東の空は少しずつ赤さを増していった。


カタン、と聞こえた小さな音は、わずかな振動とともにのもとに伝わった。それに気付いて斜め後ろを振り向くと、ちょうど部屋から出てきた人物の姿が目に入った。
彼は彼女の方に視線をやると、数歩、のもとに近づいた。

「・・・早いな」
「あ・・・はい・・・」

低い声を聞いて、はあわてて返事をする。柿渋で染められた着流し姿の辰巳は、侑同様の白い息を吐くとさらに低く尋ねた。

「寒くはないか?」
「え・・・あ、はい、大丈夫・・・です・・・」

顔を少しだけ辰巳の方に向け、視線だけはまったく合わせずには答える。その答えに対する返事はなくて、だからも黙ったまま顔を雪面に戻した。

沈黙がおりる。
すべての目に見える動きが止まっている。

は苦手だ。
背後からの見えない気配が。
動かない視線が。
それが良いものであったことなどなかったから。

ひどく居心地の悪い空気が溜まる。
ひたすら押し黙り、雪の上のただ一点のみを見つめてその沈黙をやり過ごす。

早くどこかへ行ってしまってほしかった。


「・・・朝賀までまだいくらかある。時間になったら呼びに来よう」
「は・・・はい・・・」

の態度を感じ取ったのか。
祈りは通じ、辰巳は廊下を行ってしまった。
曲がり角で辰巳の姿が消えそうになったとき、ようやく侑は彼の方へと振り返った。

――失礼だった、と。
自覚はしていた。
それでもどうしようもなく苦手だった。

自らに近づいてきた者たちの行く末、それがちらつくから。



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2008/05/24