五日後の昼下がり。
翼は約束どおり、また庵にやって来た。





毒娘





花曇の空は光が柔らかく降り注ぐ。
風はまだ少し冷たい気もするが、それでも外にいるには十分に暖かい。
けれども、のいる庵の周りは、冬と同じように草が枯れていた。

猫の死骸はいつの間にかなくなっていた。
しかし、注意深く見ると虫の死骸は何故か多い。

ぞくりと薄ら寒いものが背筋を駆け抜けるが、翼はそれに気付かない振りをして庵の木戸に近付いた。

周りを見渡し、息を殺して中の様子を伺う。
玲が来るのは夜だとは言っていたが、来る以上はその時間以外でも注意するに越したことは無い。
玲の罰則は容赦が無いのだ。その彼女が禁止している以上、見つかれば翼もも何事も無く済むわけはないだろう。


何も声らしきものが聞こえないのを確認してから、翼は木戸を叩いた。中から、の幼い声が返ってくる。それに安堵して、彼はつっかえを外すと木戸を引いた。

「翼!」
、外行こう」
「え?」
「外」

近付いてきたが不思議そうな顔をする。
それに向かって、翼はもう一度繰り返した。

「外、行くよ」
「・・・ほんとうに行けるの?」
「うん。ほら、ここ通って」

翼が開いた木戸から手を伸ばす。
は暫く迷っていたが、やがてその手を取ると敷居を乗り越えた。






一面の薄い緑。
入り乱れて広がる菜の花の黄色。
遠くに霞む桜色。
無彩色の世界が全てだったに取っては、鮮やかすぎるほどに色のある世界が外にあった。
風はさやかに吹き、薄い雲が掛かった空もこの上なく明るく見える。

庵から見る事の出来なかった昼の世界。
玲に出してもらった時には見られなかった明るい世界。

夕刻以降の薄闇ばかり見ていたには、何もかも眩しくて、そしてどこか懐かしいような既視感を憶えるものだった。

「・・・あれが桜?」
「そう」
「菜の花?」
「うん。・・・知ってるんだね」

指をさして一つずつ確認するに、翼が驚く。
本当に何も知らないのだと思っていたのに、何故か彼女は外の世界のものを知っている。

「・・・そうね・・・。玲様とたまに外に出たからかしら」
「でも夕方か夜なんだよね」
「うん」

自分でも判らないのか、は少し首を傾げて見せた。
いつの間に着いたのか、彼女の真っ黒な髪に桜の花びらが一枚ついている。
桜のある場所は少し離れているが、気付けば風に乗ってはらはらと何枚も流れながら地っていた。

「髪・・・」
「え?」

翼が右手を伸ばして、の髪に触れる。
は一瞬驚いたような顔をして、すぐにまた笑った。

「ありがとう」
「どういたしまして」

風が通り抜けて、の髪が舞い上がる。
花が揺れて、桜の花びらはまた大量に降ってきた。
はそれを目を細めて見つめた後、ふと別の方を向いて指をさす。

「翼がいる母屋はあれ?」
「ん・・・そうだよ」
「玲様も?」

指差した方向にある建物は、庵とは比較にならないくらいに大きく、重厚なつくりをしていた。
瓦の屋根は暗い灰色で、広い空よりも多きな存在感を出している。

暫くはそこを見つめていたが、やがて翼の方に向き直った。

「ねえ、翼」
「何?」
「外ってきれいね」

が嬉しそうに笑った。





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2006/12/30